音信不通の姉とわれ関せずの妹

心療内科医から、「お姉さんとはできるだけ関わらないように」と言われていた門脇さんは、包丁事件以降、姉とは絶縁状態になっていた。その後もお金の無心のため、母親には連絡があったようだが、しばらくして母親がお金を渡さなくなったため、2019年ごろからは完全に音信不通だ(門脇さんと母親は亡き父の遺族基礎年金と遺族厚生年金で細々と生活していた)。

2018年に出ていった妹とはときどき連絡をとっており、必要なものがあると家に帰ってきていた。だが、門脇さんが、母親が認知症になったことを伝え、「帰ってきて、一緒に介護をしてほしい」と頼んだ時、妹は、「ここから仕事に通うには遠いから無理」と冷たかった。

他に頼る先がない門脇さんは、自分が通っている心療内科の主治医に相談すると、包括支援センターに連絡するようにアドバイスを受け、包括支援センターで要介護認定調査を受けるよう指示される。

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調査結果は要介護1。

母親は自分のことは自分でできるが、門脇さんが言わないと何もしなかった。かろうじてトイレは自分で行ってくれるが、時々失敗もあった。食事も自分で食べられるが、言わないと食べないうえ、メニューが気に入らないと手を付けない。1カ月近く入浴や着替えをしないこともザラ。臭いに耐えられず、門脇さんが入浴を促すと、母親は激怒し、「こないだ入った! いちいちうるさい!」と怒鳴り、門脇さんが、「そろそろ爪を切って」と爪切りを用意すると、「自分のことは自分でできる! ほっとけ!」と怒り狂った。

母親が認知症を発症してから、門脇さんは謎の筋肉痛に苦しめられるようになっていった。

「母に怒られる日が続くと、どうしてもストレスがたまるみたいで、頭から顎にかけて痛くなり、放置していると胸や背中まで痛くなってきます。歩くこともできず、呼吸もしづらくなり、話すことはもちろん、うめき声さえ出せないほどの痛みに苦しめられました」

心療内科の主治医に相談すると、「門脇さんは怒りや悲しみの感情を心に留めてしまうため、身体の不調として現れるのです」と説明。「何かしたいことや、興味があることをして、ストレス発散してみてください」とアドバイスを受けたが、門脇さんは、「したいことや興味があることがわからず、ストレス発散の仕方もわからない」という。

母親は1分前に何を言ったかも忘れる状態で、一人で外出することは全くなくなり、どこへ行くにも門脇さんに「行きたいところがあるから、ついてきて」と言うように。

門脇さんは車を持っている妹に、ときどき「お母さんを連れて行ってあげたいところがあるんだけど、協力してもらえない?」と連絡するが、妹は嫌そうに、「そんなに長時間歩けるの?」と言って拒否する。

先日珍しく母親が、「海を見に行きたい」と言ったので、「長く歩けないから、車を出してほしい」と言って妹に連絡した際も、やはり受話器の向こうで黙り込むだけ。

「長時間歩けないから、車がある妹に頼んでいるのに、本当に薄情だなと思います。母が認知症と診断された当初は、妹に対して、『あんなに溺愛されていたんだから、介護くらいしたっていいのに!』という苛立ちがありましたが、最近はもう、何とも思わなくなってきました」