「SPEEDI」の存在が初めて国会で報告されたのは、1986(昭和61)年5月19日の参議院・科学技術特別委員会である。
原発事故発生時の放射性物質拡散を予測し、国際的な情報交換ができるシステムの必要性に関する松前達郎社会党参院議員(当時)の質問に答えて、辻栄一科学技術庁原子力安全局長(同)はこう答えている。
「私ども安全だ安全だと言うばかりではございませんで、一応防災体制につきましてもスリーマイルアイランド以降いろいろやってきております。
特に、放射能の放出とその予測につきましては、事故直後から原子力研究所におきましてこういった予測システムの開発に着手してまいりまして、もう最近では実用化の段階にまいりまして、すでに実用化の1号機をつくっております。
これはSPEEDIという名前をつけているんですけれども、コンピュータープログラミングでございまして、原子力発電所のある日本の細部の地形が全部コンピューターに入っております。
それからこれと気象庁のアメダスは、テレビでは雨の数字だけ出てきますが、あれだけじゃなくて、風向、風速、温度、そういったデータも全部あのアメダスに入ってきておりますので、アメダスとそこをコンピュータでつなぎまして、そういう気象データが入ります。そうすると、インプットデータとしては発電所からどのぐらいのキュリー数が放出されたというのが出ますと、そのコンピュータでどのぐらい放射能のプルームが流れるかというのがディジタルで目に見えるようにできてきております。
今年の秋ぐらいまでにはこれと安全委員会とをつなぎまして、安全委員会の方にディスプレーをつくるというような形にまで整備されてくると思いますので、そういった方面の情報流通には大いに使われるのではないかというふうに考えております」
ところが、福島第一原発事故でSPEEDIが5000枚以上の計測データを弾き出していたにもかかわらず、政府の安全規制担当省庁がこれを活用せず、公開もせず、官邸にも報告しなかったため、放射性物質の飛散方向に逃げる住民を現地では誰も適切に誘導できず、前述のように多くの人々が被曝した。
国民を守るための適切な情報開示をしなかった理由を国会で問われた高木義明文部科学大臣(当時)は、多数の人々をみすみす被曝させてしまった理由について、「情報がなく計算できなかった」「計算したことを知らなかった」「計算結果は内部情報」と、関係官僚に振り回されたその場しのぎの答弁を繰り返し、自らの責任逃れに終始した。
SPEEDIの情報を最初に把握したのはいったい誰なのか。国民を守るための予測データは、誰が、どのような理由で隠蔽したのか。そして、それはなぜ活用されなかったのか。行政の重大な不作為が明らかであるにもかかわらず、いまだに誰も罰されていないのはなぜか。