ローカルはローカルでも関東地方や県庁所在地に限る
廣井が指摘している通り、若い世代のローカル志向は高まっているだろう。その要因として、高度経済成長の時代は、人口の密集が効率的であったが、低成長時代に移行し、インターネットが登場した現在では、人口の密集が必ずしも効率的ではなくなった。私のまわりでも、安定志向が強い一部の若者は、過疎地域から少し離れた小都市で暮らしている。
たとえば、かつてのドラマといえば、おしゃれで軽いタッチの若者たちが、美しいインテリアに囲まれた高級マンションに住み、オープンテラスのカフェで自由を謳歌していた。その舞台のほとんどが東京都であったが、今ではローカルの面白味を活かしたドラマやアニメーションも増えている。
ただし、そのローカルな地域がどこかといえば、埼玉県や千葉県の山奥といった関東圏である。地方の場合は、県庁所在地などの利便性が高い地域になる。陸の孤島と呼ばれているような過疎地域では決してない。
つまり、ローカル志向にも序列意識があり、地域格差がある。そこにあるのは都心との距離感だと私は考えている。都心との物理的な距離、精神的な距離、文化的な距離である。
そこで私は、過疎地域から都心に若者が流れていく要因として、職業威信の序列意識だけではなく、文化威信の序列意識もあるのではないかと考える。たとえば、あの地域には男尊女卑の習慣があり、この地域には男女平等の習慣があるといったことが文化威信の序列意識を決める。
「女性に指示されてもいいか」という男尊女卑な質問が飛び交う田舎
たとえば、私が暮らしている過疎地域では、ハローワークの求人に応募し、面接に行くと半分位の割合で「女性に指示されても大丈夫ですか」と質問される。最初は何を言っているのか分からず、何だか馬鹿にされているような気がして不愉快だった。
そうしたことを繰り返すうちに、この地域には女性に指示されるのを嫌がる男性がたくさんいるのだと分かった。直属の上司が女性になると分かっている企業では、後々のトラブルを避けるためにそのような質問をしていた。
このように過疎地域では、現在でも男尊女卑の文化が色濃く残っていた。あちらこちらで、「男として」や「女として」の言葉が飛び交っており、男性なら「こう」、女性なら「こう」といったジェンダー意識が、人それぞれの特性を考慮するよりも先にくる。たしかに、男性と女性を区別する意識はあって然るべきだが、私は長いあいだ、「人として」の表現に慣れていたので、正直なところ未だに戸惑っている。