気候変動対策の観点からは「肉食」も批判されうる

人びとに倫理的な生き方を求めるのは、規範化していく「健康」だけではない。近年、先進各国で勢いを増している「SDGs」のスローガンもそうだ。「SDGs」の温室効果ガス削減(気候変動対策)の観点からは「肉食(畜産業)」も禁止あるいは縮小を求める流れが加速していくことになる。

牛肉や豚肉や鶏肉を食べるという行為は、旧来的な「動物愛護」の観点からの非難だけではなくて、「地球温暖化を促進し、地球環境の持続可能性を犠牲にしている」という文脈によっても厳しい非難の論調を向けられることになる。「肉を食べて幸せになる」という個人的な楽しみにすぎない営みが、問答無用で「人間社会」のマクロな倫理的問題に接続され、その是非を審問されることになる。

私は焼肉もすき焼きもしゃぶしゃぶも大好きだが、そう遠くない将来には、どこか後ろめたい気分をともないながらコソコソと店に行かなければならない日がやってくるのだろう。

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「個人的な幸せ<社会的な有益さ」になる

新型コロナによるパンデミックは「個人的なことはすなわち社会的なこと」という観点を人間社会にくっきりと浮かび上がらせた。

ようするに、これまではあくまで個人的な楽しみや幸福の追求にすぎなかった事象や営為が、否応なしに「社会」と接続され、それが社会全体に与える影響や利害を厳しく査定されるような道筋を拓いてしまったのだ。

喫煙も、飲酒も、肉食も、それはたんに個人的な行為のままで完結することは許されなくなった。社会的な行為としての評価軸を与えられ「社会にとって有益か否か、社会にとって必要か否か」という視座をいままで以上にはっきりと向けられるようになった。「個人的な行為」としてよりも「社会的な行為」としての評価軸の方が、その営為の是非の判断基準として大幅に優越するようになった。

そして喫煙はその軸によって明確にノーを突きつけられている。社会的評価の審判の待機列には飲酒や肉食が、さらにその先には炭水化物や脂質やカフェインが控えているだろう。