なぜ島津製作所はノーベル賞受賞者との関係が深いのか

ノーベル賞との関係は1901(明治34)年の第1回目の賞発足時にさかのぼる。栄えあるノーベル賞第1号はドイツの物理学者レントゲン博士ら6人に贈られた。

レントゲン博士は1895(明治28)年に大学の研究室で、クルックス管(実験用真空放電管)を用いて実験をしていたところ、机の上の蛍光紙に黒い線が出現したことに気づき、X線を発見。レントゲンはX線が対象物を透過する特性があることを世間に知らしめた。現在、病気の診断などで使われ、医療現場では欠かすことはできない技術になっている。

実は島津製作所は国産初の医療用X線装置を開発した企業でもある。

レントゲン博士の発見から、わずか1年足らず。島津製作所内で、同社初代社長の島津源蔵(二代源蔵)が旧制第三高等学校(後の京都大学)の物理学教授と共に、左手をX線で透過、撮影させることに成功(写真)。

写真提供=島津製作所
島津源蔵は日本で最初にレントゲン撮影を成功させた

この成功によって、同社はX線装置を手掛けることになり、1909(明治42)年に現在の国立国際医療研究センター国府台病院に国産第1号機が納入されている。

この島津源蔵こそが、「日本のエジソン」と呼ばれた発明王であった。「科学は実学でなければならない」をモットーに、X線装置のほかにも国内で最初に蓄電池や電子顕微鏡の開発を手がけている。蓄電池部門は後に、世界シェアでトップを走るGSユアサになった。

島津源蔵自身は、ノーベル賞には届かなかったものの、戦前にはビタミンB1の抽出に成功した鈴木梅太郎博士や、テレビを発明した山本忠興早稲田大学教授らと共に「十大発明家」にも挙げられたほどである。

近年のノーベル賞との関係では1993(平成5)年、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査法の確立で化学賞を受賞した米国の生化学者キャリー・マリス博士とも密接な関係を築いている。

PCRは新型コロナウイルスの感染診断のみならず、インフルエンザ診断や犯罪捜査などにも使われている。島津製作所は1990年代には早くもPCR用試薬の開発に着手しており、その後、ノロウイルス検出試薬を実用化させていた。そのアドバンテージをもって2020年春には、いち早く「新型コロナウイルス検出試薬キット」を発売したことで注目を集めた。