ポイントカードは企業に消費行動を引き渡している
最近は、コンビニやレストランなどで支払いをするときに、当たり前のように「◯◯ポイントカードをお持ちですか?」ときかれます。カードを提示するのを忘れていたとき、「なんと親切なことか」と、ありがたい思いがしますが、店員さんは顧客サービスのためだけにやっているわけではありません。企業は私のデータが欲しいのです。ポイントカードはそれを引き出す重要な道具になっている。もしあなたがポイント集めに熱心で、いつも支払い時にポイントカードを差しだす人ならば、あなたの消費生活はデータ化されて、丸裸状態になっているかもしれません。
たとえば昼にコンビニで卵サンドと缶コーヒーを買い、夕食時には一人でレストランに入ってエビチャーハンと餃子を食べ、その足でビデオショップに行ってDVDを借り、コンビニに寄って週刊誌を買ったとします。そのたびに同じポイントカードを提示したとすると、あなたがどこで何をいつ買ったかがデータ化されたということになります。このデータを積み上げていくと、あなたの読書傾向、家族構成、さらに年収などを推測することも可能で、こうしたカード類を使うということは、自分のデータを渡しているということでもあるのです。
少し想像を巡らしてください。自分の情報はどれくらい他者に把握されているのか。銀行やカード会社には収入と支出が、ネットで本を買えば、その時々の関心事から思想傾向まで推測されるし、ドラッグストアで薬を買えば、あなたの病歴がデータ化されることになります。米国のあるディスカウントストアは、購入履歴データの分析から、妊娠した客の消費パターンを導き出しています。これによって顧客の出産日まで予測できるようになり、特定された妊婦向けに、さまざまな商品の売込みをしているということです。
米国で作られたテレビドキュメンタリー番組『あなたは利用条件に“同意する”?』では、高校生の娘に妊産婦向けのクーポンを送りつけてきた企業に抗議した父親のことが紹介されています。「まだ子どもの娘に妊娠をそそのかすのか」と父親は憤っているのですが、実際に娘は妊娠していたのです。会社は彼女の購入履歴で、身近にいるはずの父親よりも早く、妊娠に気づいていたというわけです。
大規模であるほどデータは有効で利益を生む
このように個人情報が、国や企業に筒抜けになってしまう事態を危惧する意見は多くあります。これに対して「私には秘密にしなければならないようなやましいところはないから、オープンになってもかまわない」という声をよく耳にします。
しかしたとえば、あなたがウイルス性肝炎にかかったとします。それは職場などでは伏せておきたい情報かもしれない。あるいは転職しようという時に、借金があることは知られたくはないでしょう。やましいところはないという個人情報も、場合によってはあなたにとって不利な情報になります。
データ化されネットで行き交うようになった個人情報の根本的な問題点は、単にその一部が流出するということにとどまりません。ベネッセの情報流出事件は、ネット社会の落とし穴のほんの一部をかいま見せたにすぎないのです。ほんとうに怖いのは、さまざまな場所に分散されている個人情報が一つにまとめられることです。まとまると、たちまちあなた以上にあなたらしい「デジタルな私」ができあがります。
データというのは集合し塊をつくる性格を持っています。なぜならデータは大規模になるほど有効性を増し利益を生むからです。データを活用する側は、それが規模の大きなものであるほど価値があるということを知っていますから、できるかぎりかき集めようとします。いま「ビッグデータ」という言葉を頻繁に耳にしますが、データはビッグであるほど有効なのです。それは個人情報も同じです。だから企業やネットのサイトは、バラバラに存在する個人のデータをできるかぎり一つに統合しようとしています。
たとえばコンビニで弁当を買うとき、多くの店では鉄道会社が発行する乗車カードで支払いができます。電子マネーの機能が付加されているわけですが、さらにこれにクレジットカード機能も加わったものも出てきました。航空会社の会員カードも同じです。ケータイやスマホも一台にさまざまな機能をつめこんでいます。利用者からみると便利で得をするという感覚ですが、その裏で個人のさまざまなデータがまとめられつつあるわけです。
今後、もしこの統合が究極まで進み、あなた自身を物語る全データが一元化されたとすると、どうなるでしょうか。もう一人のデータ化された自分ができあがるわけです。しかもその「個人の完全データ化」とでもいうべき実態を、自分の目で直接見ることはできないところが怖いのです。実際、私もあなたも、自分のデータがどこにどれだけ収集されているのか、皆目わからないのですから。