デジタル化された「私」が誰かに見られる時代

都内のあるフィットネスクラブでのことです。私は受付カウンターで会員証を提示しました。すると係の女性はなんのためらいもなく、私に女性用のロッカーキーを渡しました。そこに通って3年ほどたちますが、女性用のキーを渡されるのはこれで4度目です。きっと彼女は、パソコン画面に映しだされた「智美ともみ」という私の名前を見て、勝手に女性だと判断したのでしょう。そのとき私は、自分が透明人間になったような不思議な気分になります。彼女は笑顔で「こんにちは」と私にたしかに挨拶をし、その私からじかに会員証を受けとっている。私の風体はどう見ても中年男なのに、どうしてこんなことが起こるのか。

受付カウンターの彼女にとって重要なのは、画面上に表示されるデジタル・データであって、生身の私ではないということなのでしょう。血の通った目の前の人間は意識から消されて、画面上のデータ処理に意識が集中したのです。これは悪気のないささいなミスですが、ネット化した社会において人の存在が「データ化」しつつあるということを象徴しているようにも思えます。

こうして私たちは、目の前にいる生身の他者が目に入らず、ネット上のデータとしての他者を見るようになっていくのでしょうか。

その個人データが他者に利用されたり、また売り買いの対象となる事件が、あとを絶ちません。最初に大規模なデータ流出事件が起こったのは、2014年7月でした。ベネッセホールディングスの顧客情報が大量流出したのです。その規模は2000万件を超えます。なかにはベネッセの通信教育である進研ゼミを利用していた子どもたちの情報も多く含まれていました。

流出した情報は転売を重ねられて、数百社もの企業に渡ったといわれました。デジタル情報はコピーが簡単ですから、一度外に出ると、それをすべて回収したり消去したりすることは不可能です。よってこの情報は長く利用されることになります。とくに子どもの情報は10年以上は使えるといわれていますから、長期間にわたってさまざまなビジネスの手がかりとして「活用」されるばかりか、住所などが特定されている場合は犯罪の対象となることさえ心配しなければなりません。思わぬかたちで不安を抱えこんでしまった親御さんが全国にたくさんいたことでしょう。

こんな大規模な事件にもかかわらず、犯人はたった1人のシステムエンジニアでした。もしこれが30年前だと、犯人は大型トラックを用意して、膨大な量の紙の束を盗むしかなかったでしょう。そもそも、これだけの数の顧客情報を収集し書類で管理することは、並の民間企業ではむずかしかったかもしれません。そんな大量の記録が、今では手の平にのる1台のスマートフォンに入ってしまうほど、いとも簡単に取り扱えるようになったのです。

その後も19年12月には、神奈川県庁からサーバーのハードディスクドライブ(HDD)が持ち出される事件がありました。また21年にはLINEの個人情報が中国の委託企業で閲覧できるようになっていたことが大問題になりました。SNS上でデジタル化された「私」が、海外の見知らぬだれかによって見られる可能性があるという時代になったのです。

スマートフォンの画面
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