どこかで見切りをつけざるを得ない

もちろんこれは、ワクチン無駄、ということじゃない。たぶん、重症化は避けられるし、デルタ株での感染者急増にもかかわらず日本で死者数が(いまのところ)あまり増えていないのはワクチンの御利益だろう。一番死ぬ層だった高齢者が接種をほとんど終えていたのはありがたかった。8月末からワクチン供給が復活して、接種率が急増すればいまの患者数急増にも多少の効果はあるはずだ。それでも5月頃に期待していたような、一気にコロナが沈静化して思い出話になるほどの効能はなさそうだ。ワクチン接種が相当進んでも、まだ感染者は増え、時に医療はあふれ、それに伴い死者も出るのは覚悟しなくてはならない。

すると……話は最初に戻ってくる。これ、いつまで続けるの? そういう状態になっても「人命には……」という口実でいまのような戒厳令もどきを続けるんだろうか。

たぶんどこかの時点で見切りをつけざるを得ないだろう。そしてここで見切りをつけるというのは、コロナ感染者が増えても、もう気にしないということだ。ワクチンの接種までは、とにかくやり切ろう。でもその後は病院が一時的にあふれても、憂慮してみせたり、緊張感を持って注視くらいはするけれど、でも原則は放置するということだ。補助金とかはつけるかもしれない。でも他の人びとの行動を大幅に制約するような施策はもう採らない、ということだ。

「マスクなし」の生活に戻りつつある欧米

一部の先進国は、すでに明らかにこの通りの見切りをつけ始めた。ワクチンはすでに行き渡らせた。いま打っていない人は、自らの意志で打たない選択をした人びとであり、したがってそれに伴う損失も受け容れたのだ、という判断をしている。

ワクチン打ってない人はお酒は飲めない。一部の公共施設には入れない。そうした待遇上の差別をしてもかまわない、とアメリカやフランスの一部は判断しつつある。そのうえで、もうマスクもしなくていい、隔離もしない。まったく以前と同じ状況が戻りつつある。中国や、初期にコロナ抑え込みに成功した国々が、今後どうするかは見ものだ。

デルタ株が思ったより強くて、アメリカではやっぱマスクいるかも、なんて一歩後退はしている。でもそれもしばらくすれば終わるだろう。ワクチンパスポートで、ワクチン接種さえあれば行き来を認める仕組みが、多分広まってくる。つまりは、それ以上の対策は考えない、ということだ。

日本もどこかで、そういう判断を下すしかない。ワクチンパスポートが普及してきて、他の国ではコロナ感染があっても往き来が始まれば、日本だけ鎖国を続けるわけにはいかないし、追従するしかない。たぶん日本では、はっきりとそれを言える政治家も行政機関も、たぶんない。でもなし崩し的に、そういうかつてと同じ状態に向かうだろう。