好きを自覚すると、どんどん接近することができる

好きと嫌いを判断する直感的センサーはどうして働いたのか?

そこに何があるのか、自分で言葉にしてみる。

たとえば、「好き」であれば、何が好きで、どう好きで、どんなところが好きなのか?

そして、その好きを、好きと書かずに伝えてみる。

名付けられた「好きな人」はどんな人なのか。

「創造しい人」どんな時も創造することをやめない人

「映画版ジャイアン」普段はちょっとなあ……と思っていてもいざという時、異常に頼りになる人

「実家の毛布みたいな人」まるで毛布で包まれるように、とてつもなく安心感のある人

「終日快晴」いつ会っても明るくてごきげんな人

「嫌いな人の嫌いな人」合わない人の合わない人は、きっと嫌いが一緒で気が合う人

写真=iStock.com/Nils Jacobi
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このお題に取り組む時、まずは自分の感じたことを説明文として書き出すことがスタート地点になる。その上で、「名前をつける」という行為を通じて、自分の感情をちょっと俯瞰して見ることができる。

好きの正体が「自分のありたい姿」にも繋がる

「騒々しい」をあえて「創造しい」とするように、引用できる表現がないか?

「映画版ジャイアン」のように、有名な物語に似たような状況がないか?

「まるで実家の毛布みたい」のように、何かにたとえることができないか?

好きという気持ちを、のぞきこんだり、離れてみたりしながら、自分の好きの正体を明らかにしていく。

好き、惹かれる、という人物像が見えてきたら「こうありたい」と自分自身にリマインドすることができるし、目指す先が見えてくるとも言える。

「好き」は自覚することで、どんどん接近することができるのだ。