3年待った上司がついに放った言葉

「ゴニョゴニョ言うな、カッコ悪いよ」

まだ現場にいたい、マネジャー職で失敗したくないと言う阿部さんに対し、上司はそう言ったのだ。

「マネジャー業は母親業と似ている」と話す阿部さん。写真提供=Google

確かにその通りだなとハッとした瞬間だった。続けて、「最初からできる人なんていない、間違えたらちゃんと指摘するから」と諭され、ようやく覚悟が決まった。

「当時の上司とは選手とコーチみたいな関係で、私にとっては今も理想のボス。背中を見せながらメンバーの成長にも気を配り、苦しい時は一緒に戦ってくれました。言うこともストレートだったし、絶対的な信頼感がありましたね」

信頼する上司の言葉で覚悟を決め、マネジャーとして新たなスタートを切った阿部さん。自分は新米だからと、チームメンバーには「ダメなところがあったら言って」と伝え、オープンな関係を築けるよう努めた。同時に、マネジメントスキルを磨こうと時間の許す限り研修などに参加。現場にいた頃と同じように「失敗から学ぶ」を大切にしながら、少しずつ成長していった。

メンバーの成長のために、自分の得意分野を封印

息子を育ててきた経験から、阿部さんはマネジャー業を母親業に例える。どちらも一足跳びに理想の姿になれるわけではなく、子どもやチームメンバーを育てることで自分も育てられ、徐々にそれらしくなっていけるのだと。

「あの時、マネジャーに挑戦して本当によかったですね。新しいことをたくさん学ばせてもらって、ワンステップ成長できました。それもチームメンバーが私を育ててくれたおかげ。本当に感謝しています」

ここで培った組織づくりの経験は、次の舞台でも大いに生きることになる。2020年、阿部さんは自ら希望して新設のパートナーシップ事業開発本部に異動。ずっと好きでやってきた広告部門から離れるのは寂しかったが、それを超えるほどの強い思いがあった。

「チームや組織の成長にはメンバー個々の成長が欠かせません。そう実感するにつれ、この先皆で成長していくためには今のステージは後続の人に譲って、私は次のステージへ行かなければと思うようになりました」

メンバーをしっかり育てればそれぞれに自主性が生まれ、マネジャーの出番は段々少なくなっていく。その結果、阿部さんは「すっかり暇になっちゃった」のだそう。この状態が続いたら、自分が成長できないだけでなくのチームメンバーの成長機会も潰すことになってしまう──。そう考え、後続に道を譲ることにしたのだ。

「自分の得意分野にフタをする苦しさはありましたが、進んだ先でまた違う楽しみが見つかるはずだと思って。実際、今の仕事のおかげで新しい視野が開けたという実感があります」