声を上げた人に向けられる批判的な目

ひとつ目のスルーの理由、それは有り体に言って、マリエさんがカナダ系のミックスで美人で都会育ちで優秀で裕福な家庭の出身ということだ。つまり世間が喜んで「かわいそうに」と肩入れするような典型的な弱者ではないのである。枕営業を断って日本の芸能界で仕事がなくなったからといって困窮などせず、ニューヨークのパーソンズという超有名アートスクールへファッションを学びに留学し、帰国後は自身のアパレルブランドを立ち上げた成功者である。

欧米での「#MeToo」運動がハリウッドの女優たちから始まったことを考えると、実績のない若手の頃に性的暴行やハラスメントを受けた女性が、のちに成功してから社会に告発するという流れこそがオリジナルだ。だが、どうも日本では「#MeToo」的なアプローチが広がらない、共感されないという特徴が見受けられる。

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もちろん日本人の多くが実名ではなかなか声を上げない、声を上げるような教育を受けていない、だから声を上げる人に対していちいち驚き、ましてその訴えの内容が性被害ということになるともはや「引く」という小動物のような精神性も要因だ。だがそれ以上に、「みんなが共感できる被害者を選ぶ」という、集団主義的な選択指向性は否定できない。

そして声を上げて「目立つ」ことへの反動として、SNSでは性被害を告発する女性に対して必ず、「必ず」、批判や歪んだ非難が生まれる。

「酒を飲んで酔っ払って(マリエさんがインスタグラム動画で飲酒しているように見えたため)、15年も前の話を告発するのか」
「無理やり何かされたならともかく、結局断ったんだからダメージないでしょ?」
「芸能界干されたのって、本当に枕営業を断ったことだけが原因かね?」
「近いうちに本を出すらしいよ。その宣伝のためにバズっておきたいんでしょ」

「そうは言っても美人でお嬢でしょ」

どうしてマリエさんの告発に共感が生まれないのか。マリエさんと同世代の女性に聞くと、「18の時にそんな目に遭うなんて、可哀想だなとは思ったんです。でもそうは言っても、マリエさんって美人だしスタイルいいし、お嬢ですよね」と言う。「大物芸人にも“選ばれて”誘われるくらい綺麗だから他にチャンスはたくさんあるし、実家が裕福なら芸能界でお仕事がなくなっても食べていけないわけじゃないし、だから自分としては共感のしようがないんですよね。えーそうだったんだ、って、そこまでで」

「共感」という感情は移り気で、主に被害感情と紐付いていることが多い。すると、自分と同じかそれ以上に傷ついていたり、痛めつけられている弱者に対しては容易に湧き上がる共感が、自分よりも多くのものや選択肢を持つように見える人に対しては湧きにくいのだ。共感こそが動力であるSNSでは、わかりやすい弱者ではない「美しくて賢くて強い」マリエさんは、被害者扱いされない。そしてむしろ普通より恵まれているがゆえに、反発的な感情が生まれて叩かれる、というわけなのである。