一口に「震災風俗嬢」と言っても事情は様々

——「震災風俗嬢」と言っても、それぞれの女性がさまざまな事情を持っているわけですよね。

小野一光『震災風俗嬢』(集英社文庫)

そうなんです。災害で受けた被害も、風俗店で働く動機も、背景もさまざまです。

せっかく家が流されずに済んだのに、その後、放火されて実家を失ってしまった女性は、家を建て直すために内陸部の風俗店に籍を置きました。別の女性は震災前から夫との関係が悪かった。震災で両親を亡くし、一時的に家族の絆が復活したのですが、やがてまた夫婦関係が悪化し、離婚に備えてお金を蓄えるために風俗で働きはじめた。

仙台で被災した女子高生は、3・11を経験し、人の役に立つ仕事がしたいと看護学校に入学しますが、学費を稼ぐために風俗を選んだ。福島の風俗嬢は原発事故の賠償金をもらっていないにもかかわらず、客に「お金もらえていいね」と嫌みを言われ、傷ついたと語っていました。旦那さんの了解をえて働く人もいれば、身元がバレることを恐れて取材後に記事にするのを断る女性もいた。

©小野一光
2011年3月17日の大船渡市

私がインタビューした女性たちの共通点は、切羽詰まって四の五の言っていられない状況だったこと。大変な状況にもかかわらず、前向きに将来を語る女性が多かったのが印象的でした。

自分の弱い部分を見せたくないと思っていたのかもしれません。ただ、つらい記憶を他者に打ち明けることで、心が楽になることもあります。だから、私もしっかり聞かせていただきました。他人に話すことで、自分が置かれた境遇や考えを整理できる場合もありますから。

あれから10年がたちます。まだ多くの人が3・11を引きずっています。インタビュー中、あの日の話題になると、いまだに泣き出してしまう女性もいます。

3・11を経験して、男性たちは感謝の言葉を口にするようになった

——小野さんが継続して取材している女性たちは、10年の変化をどう受け止めていますか?

この2月にインタビューした2人に関して、10年目だから、という変化はさほど感じませんでした。彼女たちにとっても、変化を感じる間もない、あっという間の10年だったのかもしれません。風俗をはじめたときに、40代の女性がいまや50代ですからね。1人は孫ができておばあちゃんになっていました。でも、人に見られる仕事を続けている影響なのか、見た目はほとんど変わらない。

©小野一光
2011年3月17日の陸前高田市

震災風俗嬢の10年を改めて振り返り、印象に残っているのが震災の前後での男性客の変化です。震災前は、ガツガツして女性に対してまったく気を遣わない男性客が、3・11を経験して優しく穏やかになったという話をよく聞きました。男性たちが、女性に対して感謝の言葉を口にするようになったそうなのです。

10年前、被災地の人たちは、発生直後からたくさんの支援に支えられ、未曾有の大災害を生き抜いた。人の善意や、支援のありがたさを実感したのだと思います。そんな経験を経て、男性客は女性に対して感謝の気持ちを抱くようになったのではないでしょうか。