「地域のみんなで成長を見守る存在」ではなくなった

前述のとおり「子どもの人権」が丁重に扱われる社会が整備されてきたことは、裏返せば、子どもを下手に扱えば「人権侵害者」として深刻な社会的制裁が科せられる社会であることが同時発生的であった。大げさに言っているわけではなく、たとえ親であっても子どもを平手打ちすれば「暴行」の容疑で逮捕される時代なのである。

宿題が終わっていなかった子どもを叱る親……。どこの家庭でも見かけるような光景ですが、そこに体罰が加わった場合は、罪に問われる可能性があります。
今年の夏、兵庫県尼崎市で、夏休みの宿題に出された工作の進み具合をたずねたところ、あいまいな返答をしたとして、小学6年の長男の頭を平手で数回、はたいた父親が暴行容疑で逮捕されました。神戸新聞などの報道によると、父親は「教育の一環だった」と供述しているとのことでした。
弁護士ドットコムニュース『宿題が終わっていなかった長男を叩いた父親を逮捕、「しつけ」と「虐待」の線引きは?』(2019年11月17日)より引用

「子どもの人権」をいままで以上に尊重するという社会的コンテキストがますます強調されていくなか、地域社会で暮らす人びとにとって「子ども」は、地域のみんなでその成長を暖かく見守るものではなく、下手に近づくととんでもない社会的リスクが降りかかってくる「動く地雷」のような扱いになりつつある。

「最強の弱者」だから近くで暮らしてほしくない

たとえ不届きな行為をしても手出しすることもできない、ことによれば近づいたり、傍を通りすぎることですら不審者として扱われてしまいかねない。そんな「最強の弱者」の近くで暮らすのはあまりにもリスクが高すぎる。だからできれば自分たちの生活圏から消えてほしい――人びとがそう考えるのは当然のなりゆきだったのかもしれない。

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あまりに皮肉で本末転倒としか言いようがないが、「子ども」が全社会的に大事にされなければならないからこそ、なおかつそのような社会的合意が敷かれているからこそ、できれば自分の近くで暮らしてほしくないのである。「子どもを大事にする」という営みに伴う社会的コストを、できれば自分以外の人に払ってほしい――だれもがそう願ってやまない。