耳が遠くなれば、悪口も聞こえない
私は「ない」「できない」を恵みに変えたすごい人を何人も知っています。
その一人は、私のお寺の檀家さんだったおじいちゃん。80代半ばを超えてもおしゃれで、帽子が大好き。いつもニコニコしていて腰が低く、何か用事があると、お年を召しているのに杖をついてお寺までわざわざ来てくださいました。
私なんて孫みたいな年齢ですから、「こちらから伺います!」と申し上げても、「お坊様を呼びつけるなんてとんでもない」と微笑むのです。
そのおじいちゃんは、だんだん耳が遠くなりました。補聴器をつけてもよく聞こえないのです。でも、私にこう言って微笑みました。
「耳があんまり聞こえすぎると、聞きたくないことも聞こえてきます。でもね、今は悪口も何も聞こえない。これは本当に幸せですよ」
その後もおじいちゃんはどんどん衰えていき、胃の手術をなさいました。でも、私にこう言って微笑みました。
「私はずっと口が卑しくて、際限なく食べて太ってしまい、しょうがありませんでした。でも、手術をしたら多くの食べものを必要としなくなった。この老いぼれにはかえってちょうど良いんですよ」
欠点を恵みにできるかは自分次第
最初は我慢か強がりかと思っていましたが、違いました。おじいちゃんは本当にそう思っていました。
足が不自由になったときは、「孫が優しくなった」と喜んでいましたし、自分の衰えを受け入れ、良い面だけを見ながら九一歳で亡くなりました。年を重ねるごとに仏様に近づいていったお方だったと、私は思うんです。
耳が聞こえなくても、足腰が立たなくても、人はそれを心で補うことができます。
心で補えれば、それは恵みに変わります。耳がよく聞こえなくても、そのぶん一所懸命に聞けば、相手は「こんなに真剣に聞いてくれる」と感動するものです。
嘆くのは、もうおやめなさい。
「ない」「できない」を恵みに変えられるかどうかは、自分次第なのです。