断固否定したうえで、自分の社会人としての名誉も著しく傷つけられたが、私の尊敬していた亡き父の名誉が貶められたことが死ぬほど悔しい、そういって号泣するぐらいの演技力を太田に要求する。
さらに、30余年も経っていることをいまさらほじくり返すことが「公共的関心事」なのか。新潮社の社内でも、報道された後、なぜ今さらという声がかなりあったと聞く。
さらに、当事者が亡くなってしまっていて、反論もできないのに、一方的な匿名の人物のいい分だけで、「真実たり得ると編集部が考えた理由」はどこにあるのかと、新潮側に問い質すことである。
彼はいったい何がしたかったのか
もちろん、これまでの弁護士同士のやりとりの中で、新潮側が「真実たり得ると信じた」理由を述べているだろうが、法廷で太田が、新潮側に鬼のような形相で迫り、それを裁判長に見せることで、裁判長の心証が大きく変わる可能性があった。
それをせず、刑事裁判なら「法廷侮辱罪」(法廷等の秩序維持に関する法律)に問われかねないやり方は、裁判長や傍聴者たちに、「裏口入学は事実」と思わせてしまったのではないか。
もちろん、事実であっても名誉棄損は成立することもあるが、元東京地検特捜部副部長・若狭勝弁護士がサンケイスポーツでいっているように、太田のように意図的に傍聴人の失笑を誘うような行動が、「裁判官が『この人物は遊び半分で、裁判を利用しているのでは』との見方を持てば、太田氏の発言内容の信用にもかかわり、有利にはならない」のである。
10月4日、日曜日朝の『サンデージャポン』(TBS)で、裁判について聞かれた太田は、宣誓の時「伊勢谷友介です」といったことを、「裁判長とかぶっちゃったんですよ。裁判長の“それでは”とぶつかっちゃった」と、照れながら語ったが、自身の名誉が棄損された裁判の行方については、ひと言も触れなかった。
もちろん、「週刊新潮のアホ」も「元木の言論人失格」発言もなかった。(文中敬称略)