韓国人も竹島行きの発着場がわからない

さて、翌日はいよいよこの鬱陵島から竹島行きの定期フェリーに乗ることになるのだが、当然のこと『地球の歩き方』に「竹島への渡航方法」など一切書いていないから、地元の人に直接、フェリーの発着場のありかを聞き込みするところから始める。鬱陵島に着いて雑貨店で買い求めた地図には、竹島への航路が点線で示された地点があり、まずここで間違いないと思いタクシーで向かうと、ただの漁村だった。地図が間違っていたのだ。

そこから私は、鬱陵島の郵便局、役場、そのあたりの飲食店などに片っ端からつたない英語で竹島行きフェリーの発着場を聞いて回ったが、驚くことに鬱陵島住民ですらも竹島に行ったことがある人は皆無で、皆ほとんどその存在を知らない。宿としたホテルの若い従業員にも竹島行きのフェリーはどこから出るのかと聞いたが、逆に「なぜ行きたいのか?」と聞かれた。写真を撮りたいのだ、と答えると「インターネットで買えばいいだろう」の一言で取り付く島もない。鬱陵島での1日目はこうして徒労に終わった。

いよいよ焦燥感に駆られ始めた私は2日目、再度徹底的な聞き込みを行うや、あるタクシー運転手が「知っているから連れて行ってあげる」という。半信半疑で乗り込んだタクシーはものの20分で竹島行きフェリーの発着場(サドン港)に着いた。目的地は目と鼻の先にあったのである。

日本人へのチケット販売は禁止

ここで第2関門。竹島行きフェリーの発着場は近代的な施設で、1日に2往復、鬱陵島と竹島を往復するものであった。ごった返すそのロビーのほとんどが韓国人高齢者の団体客ばかりである。実のところ、このフェリーを運航する船会社は日本人に対してのフェリーチケットの販売を禁止する旨、事前に情報をつかんでおり、もしパスポートを提示要求されて断られると一巻の終わりであった。いよいよ列に並び私のチケット購入の出番である。私は無言で人差し指を立てる。大人1枚の意味である。するとカウンター嬢は私を日本人と思わなかったのか、あっさりチケットを販売してくれた。まさに天の加護のおかげとはこのことをいう。いやただ運がよかっただけであろうが。

ここから、竹島まで高速船で行くわけであるが、空が晴れ渡る日本海にもかかわらず、高速船の上下運動の凄まじいこと凄惨である。出発時はチャミスル(焼酎の一種)を飲んではしゃいでいた韓国人高齢者の団体客も、ものの15分と経たぬうちに沈黙し、吐瀉吐瀉また吐瀉の連続。海面が上下に何千回も移動し、船内は吐瀉物で瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。逆にこの混乱が、私が日本人であることを隠した理由の一つだったかもしれない。私も行き道4回吐瀉し、帰り道は1回吐瀉した。

筆者撮影
竹島高速船

この地獄が竹島に着くまで2時間半続く。途中で帰ろうと思ったがもう遅い。いよいよ竹島に着いた時には、もう息も絶え絶えである。1970年代から着々と実効支配の強化が続けられてきた竹島には、警備兵が常駐し、自給自足体制を貫徹するべく警備兵宿舎を筆頭に、ヘリポート、太陽光パネル、浄水ろ過装置、ロープウェー、山頂までの階段、そしてフェリーが接岸可能な中規模の埠頭ふとうが完備されている。