休業手当がないゆえの「コロナ隠し」の可能性

現在、感染者は原則入院だが、今後は軽症者はホテルなどの施設に隔離となる方向だ。さらに爆発的に感染者が増えれば、それらの施設も不足し、軽症者は原則自宅隔離となることも避けられないかもしれない。いずれであれ、隔離されるということは、通常業務ができなくなるということだ。

木村知『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)

厚労省がHPで公開している企業向けの見解では、「新型コロナウイルスに感染しており、都道府県知事が行う就業制限により労働者が休業する場合は、一般的には『使用者の責に帰すべき事由による休業』に該当しないと考えられますので、休業手当を支払う必要はありません。」とされているから、感染してしまうと、生活を回していくのに必要な収入を得ることができなくなってしまう。

ただでさえ、緊急事態宣言に伴い大幅に経済活動がシュリンクし、多くの業種で減収となっている状況だ。さらに隔離されて仕事もできないとなれば、それを契機に雇い止めとされたり、そのまま解雇とされてしまうかもしれない。そのような不安定な雇用環境に置かれた、ごく軽微な症状あるいは無症状の感染者が、感染した事実を職場に言わずに出勤するという事例が今後増えてきたとしても、何ら不思議な話ではない。

そのような行動を選ばざるを得なかった人のことを、非難したたくことはできるだろうか。感染は誰にでも起こり得る。明日はわが身かもしれないのだ。

感染拡大抑止には、感染してしまった人が、いかに周囲に気兼ねなく、収入を心配することなく療養できるかにかかっている。休業した場合でも、十分な所得補償がなされるのか。感染した事実を正直に申し述べても、非難や差別されることなく、雇い止めや解雇といった不当な扱いを受けることが絶対にないという保証はあるのか。それにかかっているのだ。その環境を整える役割が期待されているのは、感染してしまった人の周囲にいる人たち、そして最も重要な役割を期待されているのは政府だ。

自粛はさせるが補償は渋る、という現政権に期待が持てない現状では、自身の生活を守るために、感染を広げてしまう行動を取らざるを得ないという人も、少なからず出てくるだろう。しかし、そのような人のことを身勝手だとたたいたところで感染爆発は止められない。そういった人たちをいかに減らすか、それは政府が手厚い補償を約束するなど、命と生活を保障する対策を講じることでしかなし得ないのだ。

謝罪の慣習は今こそ葬り去るべき

感染した人が謝ることに違和感を持たない社会、感染した人の行動を非難したたく社会、感染は自業自得で自己責任であるという社会、感染者を孤立させる社会は、国民の公衆衛生、社会保障、社会福祉に本来責任を負うべき為政者が、その責任から逃れたい場合には、非常に都合の良いものかもしれないが、そのような社会は、増殖し拡散し続けたいウイルスにとっても、非常に快適なものであるとも言えるだろう。

「カゼでも絶対に休めない」というマインドが、長きにわたって、あたかも称賛に値するものであるかのように扱われてきた日本の社会だが、新型コロナの上陸によって、そのこれまでの“常識”は、180度転換せざるを得なくなった。「休んだときに謝るのは社会人として当然だ」との“常識”も、危険な過去の因習として、今こそ葬り去るべきときだ。

感染してしまった人が謝らなければならないという、異常で危険な“常識”を守り続けている限り、新型コロナを克服する日が、この国に訪れることはないだろう。

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