昭和の時代、一企業の社員として働くために第一義的に必要な能力とは「周囲の人と円滑な人間関係を構築する」ことだった。社内により多くの味方をつくり、社外にも自分に協力してくれる豊富な人脈を築く。

新卒学生は一流大学卒であろうが、三流大学卒であろうが、みな既存の人間関係の中にうまく溶け込み、価値観を共有するところからスタートしなければならないという意味で平等だった。学業の成績は悪くても人間力を鍛えれば、出世の道はいくらでもあった。

だが今日、オフィスで働くホワイトカラービジネスマンに求められるのは「短期間で低コスト・効率的に職務を遂行する能力」である。こうした能力については、膨大な量の受験勉強を効率的にこなしてきた一流大学出身者に1日の長があることは間違いない。となれば、大学の偏差値順に採用を行うのが企業にとってはもっとも安全かつ効率的だということになる。

では、採用される学生の側の意識はどうか? 私大連盟が行ったアンケート調査の結果が興味深い。

大学進学の目的を問うているのだが、最も多い回答は「大学卒の学歴が必要だと思ったから」で50.2%。自分探しだの、やりたい仕事を見つけるまでのモラトリアムといった意識よりも、最近の学生にとって大学はあくまでも“就職予備校”なのである。

逆に言えば「よい就職」が難しい大学にしか入れなかった学生は、急速に学ぶことへの意欲を失っていく。それがキャンパスの雰囲気に如実に現れている、と指摘するのが、『大学図鑑!』の著者であり、多くの大学の取材を続けてきたオバタカズユキ氏だ。

「偏差値の高い一流大学の学生はおしなべて元気でハツラツとしていますが、二流大学は『どうせオレたちなんて……』という空気が支配的で、みんな無気力。実際にキャンパスの取材をしてきた経験からいうと、分岐点は法政大学あたりですね」