実戦に出なくてよかった急造戦車
ニュージーランドはそれまでイギリスから戦車をもらっていましたが、第二次世界大戦で日本がオセアニアに進出すると、急いで国産戦車を造ることにしました。その名も当時の担当大臣の名前をとってボブ・センプル。しかし、当時のニュージーランドは戦車どころか自動車すら造れないほどの小国。でき上がった戦車は、トラクターに鋼板をたくさん貼り付け、機関銃を装備しただけのシロモノでした。
パワー不足で鈍足、安定性も悪く、こんなので戦えるのか……と思ったらやはり計画は中止。この戦車が実戦に出ることはありませんでしたし、日本軍の攻勢もニュージーランド本土までは届きませんでした。
大和の8倍もある「超超超巨大戦艦」
世界最大の戦艦といえば、日本が建造した大和型戦艦です。しかし、日本はそれ以前に、もっともっと大きな戦艦を計画していたことがありました。日本が戦艦を自国で造り始めたのは、明治時代末期の1910年代です(それまではイギリスなどから戦艦を買っていました)。当時の日本には戦艦を何隻も造る技術もお金もないので、「普通の戦艦を25隻も造るより、超巨大な戦艦を1隻造れば良い」という発想が出てきました。そうして考えられたのが、50万トン級戦艦です。
この戦艦は、排水量がなんと50万トン、全長は600メートルを超え、主砲として41センチ砲を200門以上搭載するバケモノ戦艦でした。なお当時の戦艦は41センチ砲8門が主流でした。
この想像を絶する超巨大戦艦の前では、どんな軍艦も相手になりませんが、そもそも現代ですら排水量50万トンを超える船はタンカーなどごくわずかなうえに、当時の日本にそんなものを造れる力はまったくなかったので、ただの妄想で終わってしまいました。