2003年に世界で3番目の自国ロケットでの有人宇宙に成功して以来、中国の宇宙開発の発展はすさまじい。2019年の中国のロケット打ち上げ回数は、2年連続で米国やロシアを抜いて世界一となっている。本稿では、中国の宇宙開発力が米国、ロシア、欧州、日本などと比較してどの程度なのか、中国の強みや課題は何か、日本はどう対応すべきかについて述べる。
軍事利用を中心に発展してきた中国の宇宙開発
新中国の建国直後の1950年に勃発した朝鮮戦争で、マッカーサー国連軍司令官が中国への原爆による攻撃を米国大統領に進言したことを聞き、毛沢東は核兵器・ミサイルの両弾と人工衛星の一星(両弾一星)を開発することを決断した。
ミサイルやロケット開発のため、1956年に国防部に第五研究所(現在の中国運載火箭技術研究院)が設置され、初代の所長に米国カリフォルニア工科大学で博士号を取得した銭学森博士が就任した。銭博士は、「中国宇宙開発の父」、「ロケット王」などと呼ばれている。人民解放軍や政府は、大躍進政策などの混乱期にあっても両弾一星政策を進め、1964年に原爆実験と東風ミサイルの発射実験に成功した。東風ミサイルは、ソ連から支援を受けた技術をベースとし独自開発を加えた技術であった。
1970年には、この技術を発展させた長征1号ロケットにより、中国初の人工衛星東方紅1号の打ち上げに成功し、両弾一星は完成した。
世界的に見ると、宇宙開発競争は1957年のソ連の人工衛星・スプートニク打ち上げから始まり、翌1958年米国、1965年フランス、1970年日本と続いた。中国は、日本の人工衛星打ち上げの2カ月後で、世界5番目とそれほど早くなかった。1970年はアポロ11号が月への有人飛行・着陸を行った1年後であり、米ソから大きく離されていた。当時中国は、文化大革命(文革)の只中にあり、人工衛星打ち上げを成功させたものの、宇宙開発を加速度的に発展させる余力はなかった。
しかし文革が終了した1977年以降は、長征ロケットの開発がシリーズ的に進められ、軍事的な目的だけではなく民生利用のための人工衛星の開発と打ち上げが活発化した。偵察衛星や軍事通信衛星だけではなく、気象衛星や民生用の通信放送衛星などが次々に打ち上げられた。