「当たってたら、死んでたんやろな……」
もちろん、現在のアマチュアボクシング界が“そうした体質”を引きずっているかどうかはわからない。しかし少なくとも当時は、選手の力だけでは、なかなかメダルを獲得できないのが現実だったのだ。メディアが言うところの「奈良判定」どころの話ではない。だからこそ、そうした場面に直面すると、私は真っ先にリングに上がり、大声を上げて抗議してきた。それが私の役目であり、選手たちの努力を無駄にしないためにしてやれる、唯一のことでもあった。
「当たってたら、俺は死んでたんやろな……」
背後で銃声を聞いたあの日、ホテルに戻ってから急に恐怖が襲ってきた。けれど、もし、あそこで私が引いてしまっていたら、日本の選手たちはこの先もずっと、“政治”や“金”に負け、勝ち上がっていけなくなってしまう。私は、「日本のアマチュアボクシング界のために、もっと強くなろう」と、そう自分を奮い立たせた。
支えてくれた人たちのために声を上げた
あれから20年。私への告発を行った333人によれば、命をかけて守ってきたはずの日本のアマチュアボクシング界にとって、一番の“癌”は私だったという。ショックなどというものではない。気がつけば、私は「裸の王様」になってしまっていたのだ。
黙って辞任して、あのまま消えてしまうという選択肢もあったのかもしれない。しかし、自分と自分を支えてくれた人たちの名誉のために、事実でないことは事実でないと、声を上げずにはいられなかった。私は嘘が嫌いだし、いつだって、その時を一生懸命、生きてきただけだ。