「それは慎まねばなりません。そういう年になったのです」
【2:「お天道様が見ている」という思考で生きる】
90歳を超えた貴代さんという女性も希林さんに負けず劣らず、素晴らしい生き方をした人でした。この方は観劇が趣味で毎月のように、都心までの片道1時間、おひとりで電車に乗って出かけていました。
ところが、90歳の誕生日を迎えた途端、都心への観劇には一切出かけなくなったそうです。要介護認定も受けていないほどお元気だったのですが、息子さんは「ひょっとして具合が悪いのか?」と心配します。
すると貴代さんは「どこも痛くもないし、具合も悪くない」と。それならば、と息子さんはこう言います。
「ひとりで行くのが不安ならば、一緒に行くよ。俺のことなら全然、迷惑じゃないから」
ところが、貴代さんは息子さんにこう返したそうです。
「いくら、あなたが『迷惑じゃない』と言ってくれたとしても、(私が出かけることは)『世間様のご迷惑』。そういうことは慎まねばなりません。そういう年になったのです」
息子さんは筆者にこう言いました。
「母は常日頃から『誰も見ていないと思っても、お天道様が必ず見ておられる』『お天道様に恥ずかしくない生き方をせねば』と言っていたのです。自分の我を通すことで、誰かの迷惑になってはいけない、分相応をわきまえるという生き方を貫き通した人でした」
貴代さんはその数年後、もうひとつの趣味である庭いじりをしている最中に倒れ、そのまま亡くなったということでした。
「おいしく頂けて幸せ」「手足を伸ばして寝られて幸せ」
【3:「おかげ様」思考で生きる】
こちらは懇意にしているケアマネージャーに聞いた話です。
美津子さんという「要介護1」の85歳の女性がいました。足が悪い以外は特にこれといった疾患もなく、身の回りのことも全部、自分でしていたそうです。美津子さんは、ケアマネが訪問する時も含め、どんな人にも必ず「おかげ様で」「ありがとう」という言葉を添える方だったそうです。
ケアマネはこう言いました。
「ご家族に聞いたらね、人間にだけではなくて、例えば、お食事をする、寝床で眠る、そういう何でもない日常生活に対しても『おいしく頂けて幸せ』『手足を伸ばして寝られて幸せ』『ありがたい』という感謝の言葉を頻繁に口になさるんですって」
ある夜、美津子さんが同居の家族にこう告げたそうです。
「今まで、本当にお世話になりました。なんだか、今夜、お迎えが来るような気がしてね。それで、今、お風呂に入って念入りに体を洗ってきたところ……」
そして「ありがとう」の言葉を残して美津子さんは床につき、ふすまの向こうからはいつもの寝息が聞こえてきたそうです。「冗談」だと思い込んでいた家族ですが、翌朝、美津子さんは本人が言ったとおりに旅立ったそうです。
「美津子さんの死に方は理想。かくありたいものだよね……」とは、そのケアマネの言葉です。こういう亡くなり方もあるのだなぁと思っています。