もちろんどのような内容の9条3項が追加されるかによって、その意味は変わる。例えば私は、自衛隊の合憲性を明記するのは良いことだと考えるが、自衛隊という具体的な組織名を憲法で規定することには賛成しない。ほんらい憲法が規定している具体的な組織は、内閣・国会・裁判所などの国家制度の中枢を占めるものだけなので、自衛隊を国民直轄の憲法組織とするのは、おかしい。
たとえば3項として、「前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない」という形で、国際法を遵守する軍隊は憲法が禁止する「戦力」に該当しないことを明記すれば、十分であろう 。自衛隊がその意味での軍隊であることは、通常法で規定すればよい。(*1)
9条3項追加のほんとうの意味は、より規範的なレベルにあると考えるべきである。日本は二度と「戦争」をしない。そのために国際法を遵守する。国際法の規範体系に沿って行動する。それを明確にできれば、「ガラパゴス」文化が社会の隅々にまで蔓延している日本を前に進めるために、大きな意味を持つだろう。
いまだに大日本帝国の亡霊と戦う憲法学者
憲法学者は、憲法9条は、「自衛戦争」を留保しているか、と問う。間違った問いである。「戦争」は違法だ。「自衛権」は、「自衛戦争」のことではない。ただ、正当な「自衛権」の行使は、「武力行使」の違法性を阻却する場合がある、というだけのことである。「戦争」なるものが合法になるわけではない。憲法学者は、19世紀国際法を拡大解釈した戦前の大日本帝国の亡霊と、いまだに闘っているのである。
日本国憲法9条に先立って、1945年国連憲章がその原則を打ち立てていたし、すでに1928年不戦条約がその精神を表現していた。戦前の日本は不戦条約を遵守しなかったし、国連憲章を批准したのは1956年になってからのことだ。しかしそれは憲法9条が国際法を超えた内容を持っていることを全く意味しない。むしろ国際法に追いつくために戦後の「平和構築」政策の一環として導入されたのが、9条であった。
国際法にしたがえば、「戦争」は違法であり、「武力行使」も、国連憲章2条4項によって一般的に禁止される。不戦条約の文言の焼き直しである憲法9条1項の規定が存在するのは、技術的に言えば、占領統治下の日本が、まだ国連憲章を批准していなかったからだ。先に国連憲章を批准していれば、憲法9条は必要なかった。