相談することが「裏切り行為」に

取材のため大阪市内でお会いした中原さんはもの静かな雰囲気で、こちらの不躾な質問に対し当時を思い出しながら丁寧に説明してくれた。

中原さんが新卒で富士通四国システムズに入社したのは02年4月。専門学校でプログラミングを学んでいた中原さんは大阪支社に配属され、入社半年で製薬会社向けソフトウエア開発プロジェクトのメンバーになった。

プログラミングの知識はあったが製薬業務の知識は皆無である。しかし「自分で勉強しろ」と言われるだけで、誰かが教えてくれたり勉強の支援をされたりすることはなかった。

「上司からは『私は製薬のことはよくわかりません、なんてふざけた言葉は絶対に言うな』と言われました。当時はじゃあ一生懸命勉強しなくちゃと思い、休みの日に製薬関係の書籍を買い込んで読んでみましたが、やはりよくわからなくて」

だから「ミスだ!」と怒られても、何がミスなのか理解できないこともあった。そもそも課せられた仕事量が多く、勉強時間の確保自体が困難だった。翌日にまたがる残業も珍しくなく、終電の時間を気にせずにすむよう徒歩で出勤できる場所に引っ越したほどである。

裁判所が認定した中原さんの発症前6カ月の平均残業時間は、1カ月あたり105時間。しかもタイムカードを押してから残業するといった方法で、サービス残業が日常化していた。

なお、過労死の労災認定では時間外労働が発症前1カ月に100時間、もしくは6カ月にわたり80時間を超えると、業務と発症の関連性が強いと評価される。中原さんの置かれた状況がいかに危険だったかがわかるだろう。

心理的な負荷も大きかった。ミスがあれば全体に影響するというシステムエンジニアの仕事の特性や納期のプレッシャーに加え、上司の態度が異様に威圧的だったのである。