思い起こされるのが、1972年、佐藤栄作首相(当時)の退陣会見だ。「テレビカメラはどこにいる。新聞記者の諸君とは話をしたくない」。そう言って、首相はテレビを通じた国民との直接対話を希望したという。

テレビが報道メディアとして力を持ったことを印象づけた出来事だが、40年近い年月を経て、今度はテレビが“退場”を迫られる側になったということ――小沢氏は発言の場として、テレビではなく「ニコ動」を選んだのだ。

夏野 剛●ドワンゴ取締役。1988年早稲田大学政治経済学部卒、東京ガス入社。97年NTTドコモ入社、執行役員などを経て2008年に退社。慶應義塾大学特別招聘教授なども務める。

ネットメディアへ勢力が移ったとも受け取れるが、「『ネットが台頭すれば、テレビが衰退する』といった二項対立の話ではない」と夏野さんは釘を刺す。

「ネットメディアは、こちらが積極的に情報を求めることが前提です。一方、テレビは勝手に情報を流してくれる反面、双方向性に欠ける。両者はまったく違うものであり、競合する関係ではないのです。ネットに対してアレルギーを持っていたマスメディアも、これからは相互補完関係を模索するべきでしょう」

夏野さんによれば、尖閣ビデオの流出も相互補完の一例だという。もしあのビデオが、先にテレビ局に持ち込まれていても、放送は難しかったかもしれない。「ユーチューブ」に流れたという既成事実があったからこそ、テレビニュースでも扱うことができたのだ。

細分化された多様なニーズに対応できるのがネットメディアの強み。事業仕分けを延々と生中継したり、ユーザーからの投稿を通じて、素人クリエーターの隠れた才能も発掘できる。

だが、「アラカルトは面倒くさい。おまかせ定食がいい」というタイプの人は、ネット隆盛の時代でもテレビを選ぶはず。「ニコ動」が育てたアイドル、Perfumeが、いまはテレビで大活躍しているように、互いの強みを活かして役割分担することで、新旧メディアは共存共栄できるのかもしれない。

とりわけ興味深いのは、テレビが失ってしまった「みんなで同じ番組を見る楽しさ」を、「ニコ動」が新しい形で復活させていることだ。

その仕掛けが、投稿された動画や生中継の画面上に、ユーザーが書き込んだコメントがリアルタイムで表示される機能である。

他のユーザーと感想を共有することで、映像を一緒に見ている感覚を味わう――そのおもしろさは、スポーツ・バーでサッカーの試合を見ながら他の客と盛り上がる興奮に近い。

(永井 浩、小倉和徳=撮影)