「日本遺産」という政府主導の物語化
そもそも富士山は自然遺産としての登録が目指されていた。だが、山上のゴミ処理問題や、富士山型の成層火山としてキリマンジャロが既に登録されていたため、落選したとされる。結局、二度の落選の後に、文化遺産としての登録へと方針転換され、そこで持ち出されたのが「信仰の歴史」だった。世界遺産としての富士山の価値は、その優美な山容や景観にはない。ユネスコが認めたのは、富士信仰という現在では廃れた宗教文化、そして江戸時代に浮世絵の題材になったことだ。日本が主張した「世界的名山としての景観」は否定されてしまった。つまり、過去のエピソードや文化現象をアピールすることで、富士山の価値は認められたのである。
同じような傾向は、現在、暫定リストに記載される物件にも見られる。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」「宗像・沖ノ島と関連遺産群」「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」などでも、現存する教会、寺社、金山跡といった建造物や景観が物語を通して紹介される。キリスト教の伝来と弾圧・潜伏、古代の海上交通と聖なる島、黄金の国ジパングと鉱山技術などだ。残された物に適切な物語を付加することで、それに価値を与えようというのである。
こうした世界遺産の物語化は、2001年以降、広範囲に資産が散らばるネットワーク型の物件が増えたこととも重なる。1つの県が持つ資産だけでは物としての価値が不十分なため、それを大きな物語の中に位置づけ直し、他の資産と結びつけて提示するのだ。「紀伊山地~」は、熊野詣を物語として紀伊半島の南3分の1くらいを世界遺産にした感がある。暫定リストの「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」も同じような発想だろう。「明治日本の産業革命遺産――九州・山口と関連地域」は、日本の近代化をキーワードに、松下村塾から岩手県釜石市の高炉跡までを一括りにした。