幼少期から神童と目された

史実における大田南畝と蔦重の出会いも、ほぼ「べらぼう」で描かれたとおりである。

南畝は天明元年(1781)、役者評判記のパロディとして、黄表紙(洒落や滑稽を交えた大人向けの絵入り小説)の評判記である『菊寿草』を刊行。そのなかで、蔦重が出版した朋誠堂喜三二の『見徳一炊夢』に最大級の評価(巻頭の極上上吉)をあたえたため、よろこんだ蔦重が南畝の自宅を訪ねたのだ。それが蔦重との初対面だったと、南畝自身が日記に書き遺している。

以後、1歳年下の蔦重と急速に交流を深めていく南畝は、少年時代から才にあふれていたと伝わる。知識欲が旺盛で、記憶力にすぐれ、幼少期から神童と目されていたという。15歳で江戸六歌仙の1人、内山賀邸に入門して和歌を学び、同時に、借金をしながら国学、漢学、漢詩、狂詩などを学んだ。