異例の最先端教育

この学科は、工業学校と美術学校との境界領域(産業デザイン)を教授する学科として1897年に設立されています。そこには「工業製品と工業デザインとは切っても切れない関係である、だから工業教育にデザインは必要だ」と考えた東京工業学校校長の手島精一の意志が強く反映されています。

今でこそスタンフォード大学が2004年にDスクールを設置するなど、理工系教育とデザイン教員の融合は世界のエリート校で進められていますが、19世紀末の日本で工業とデザインを融合する最先端教育が行われていたのです。

しかし、残念ながらこの工業図案科は、1914年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に併合されてしまいます。工業教育とデザイン教育は不可分だ、という学科長の松岡寿や安田禄造ら教員たちが立ち上がり、工業や商業で図案、デザイン、美術とセットで学べる場を作ろうとした結果できたのが、新たに1921年に東京市新芝町(現・港区田町)に開校した東京高等工芸学校でした。初代校長は松岡寿です。