8代将軍吉宗が残したこと
ここで一橋家についても、簡単に説明しておいたほうがいいかもしれない。8代将軍吉宗は将軍家の血筋が維持されるように、御三家に加えて、自分の血を引く3家をもうけた。これは御三卿と呼ばれ、吉宗の三男の宗武にはじまる田安徳川家、同じく四男の宗尹にはじまる一橋徳川家、吉宗の長男である9代将軍家重の次男、重好にはじまる清水徳川家が該当した。
3家は独立した大名ではなく、領地や家臣団はもたなかったが、将軍の親族として高い地位にあった。ただし、御三家をはじめ他家にも養子を提供し、養子先の相続を求められたときは、自家を継ぐことよりも養子先を継ぐことが優先された。
次期将軍を巡るドロドロ
意次と治済の話に戻る。田安宗武の息子で聡明なことで知られた賢丸(のちの松平定信)に、奥州白河藩への養子話が持ち上がると、治済は将軍家治に働きかけ、さらに意次の協力も仰いで、それを実現すべく執拗に動いた。賢丸が養子になることが決まってから、家督を継いでいた兄の治察が死去したが、決定は覆らなかった。
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