※本稿は、工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(あさま社)の一部を再編集したものです。
「我々意識」がいじめを生みやすい構造をつくる
【工藤】日本の教員って学級王国を築きたがる人がとにかく多いですね。一番優先すべきは自分の学級で、次に自分の学年、最後が学校全体。この順番で考える教員の多いこと、多いこと。ひと昔前に教員たちの間で「我々意識」という教育用語が流行りましたけど、自分の学級の子どもたちの中に「我々意識」ができあがっていくことが理想だと勘違いしている教員って山ほどいます。でも実はそれが学級内の同質性を高めたり、意見が言えない子どもを増やしたり、いじめを生みやすい構造になっているといい加減気づいてほしいですね。
【苫野】教育社会学者の柳治男さんが書かれた『〈学級〉の歴史学』に、こんな指摘があります。今日のような学級制は、19世紀のイギリスにはじまり、ヨーロッパ、アメリカへと広がりましたが、日本はその輸入の過程で、欧米とはかなり異なる道を進んだというのです。
すでに産業革命が進行していた欧米では、学級は工業社会における知識を効率よく教えるためのシステムでした。他方、まだ農村が中心だった明治時代の日本では、学級は村落共同体という伝統的な枠組みの中でつくられることになったというんです。つまり、同質性の高い、よそ者に対しては排他的な集団です。大半の日本人はそんな共同体しか知らなかったために、学級は最初から「我々意識」に基づく生活共同体としてつくられることになったんですね。「起立」「礼」「着席」も、ごく初期からはじめられていました。村落共同体ですから、集団的規律がなによりも重視されたわけです。
クラスを「家族のような場所」にしていった
【苫野】運動会は、競争意識を利用して学級の結束を高めるためのものでした。まさに、他の集団に対しては排他的な集団です。こうして、教師を頂点とした学級王国がつくられていったんです。
戦後、教育の民主化が図られましたが、学級王国は形を変えて続きました。それまでの専制的な教師像は否定されましたが、今度はお父さんやお母さんのような存在になって、クラスを家族のような場所にしていこうとなったんですね。心を通わせ合う教師と子ども、というイメージが、理想の関係になりました。子どもたちの内面に入り込むこの教師のあり方が、さっき工藤さんが批判された「心の教育」の源流になったと柳さんは指摘しています。
【工藤】たしかに「あなたは毅然と叱るお父さん役で、あなたは愛で包むお母さん役でやりましょう」と役割分担をしている学校はたくさんあります。