真面目で勤勉な妻

設楽さん23歳、妻は22歳で入籍したが、時代は就職氷河期。設楽さんも妻も、就職が決まらずフリーターに。そんな中、妻は25歳で長女を出産、その2年後に長男を出産した。

設楽さんは4〜5回の転職を経て、34歳になったとき、外資系の製薬企業の営業に転職。妻は長男が小学校に上がるタイミングで、自分も正社員として働きに出ようと考え始めた。

「妻は出産前、保育士の試験に合格し、半年ほど保育園で働いています。子どもが生まれて手がかかる間は専業主婦でしたが、『保育士の給料は安いから、子どもの学費負担が不安』と悩んでいたので、製薬の営業をしていた私が、『看護師なら稼げるのでは?』と勧めました」

妻は、34歳の時に看護師の専門学校へ通い始め、36歳で正看護師の資格を取得。37歳の頃に小児科の看護師として働き始めた。

「自分にも他人にも厳しい性格で、真面目で勤勉な妻は、40度の高熱で気を失いながらもレポートを書き上げていました。看護師になってからは、誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで働いていました。夜勤も厭わず、正月休みさえ家族と共にせず、患者の様子を伺いに病院に行くほどでした。妻はまさに体を擦り減らしながら看護師をしていました」

妻は、小児科のNICU(新生児集中治療室)の看護師だった。職場は日勤、準夜勤、深夜勤の3交替制。日勤から深夜勤に入る時などは、僅か4時間だけ帰宅し、食事を作り、入浴し、1時間だけの仮眠をとり、また出勤した。

暇さえあれば勉強し、資格を取るためのレポートを書き、帰宅後も引き継いだ患者の様子を電話で確認していた。

たまの休みでさえ、学会へ参加するために、日帰りや泊まりがけで遠方まで出張した。

当時、忙しい妻と交わす唯一の会話は、

「あー辞めたい」「嫌なら辞めれば?」

といった程度だった。

一方で、学生時代の朗らかな印象とは異なり、妻は社交性が皆無だった。知らない人と話すのが苦手で、友人もほとんど作らない。とにかく真面目で曲がったことを嫌い、気が強く頑固で負けず嫌い。

妻が小児科を選んだ理由は、「子どもは好きだけど、新生児であれば会話しないですむから」だった。職場では自分の意に反することには絶対に折れなかった。周りの目も立場も気にせず噛み付くため、上司から反感を買っていたようだ。

廊下にうずくまる看護師
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「妻には看護師が合っていたのだと思います。優秀な人材だったとは思いますが、協調性を必要とするような職場では不適格でした。『今日も上司と喧嘩。あの上司とは合わない』と言う妻の愚痴を聞きながら、上司に同情していました。明らかに妻はやり過ぎでした。看護師のスタートが年齢的に周りより遅かったコンプレックスが、妻を仕事に駆り立てていたようでした」

学生時代からの長い付き合いだった設楽さん夫婦は、お互いに遠慮なくものを言うため、ケンカは日常茶飯事だった。その度に子どもたちには、

「またやってんの?」

と呆れられていた。

「私は子育てより、主に家事の協力をしていました。『互いに干渉しないこと』は夫婦間の暗黙の了解であり、程よく距離を取っていたことでお互い上手くやれていたんだと思います。妻が怒る役、私がひたすら家族を笑わせる役に徹していました」

家族で食事や旅行に出かけることも多かったが、夫婦2人で出かける時間も大切にした。そんな時は、必ず手を繋いでいた。