空気を読まないのは望月記者だけではない
新聞の使命は自分たちだけで決めたわけではありません。本書にも書きましたが、最高裁は1969年11月、報道機関による事実の報道は国民の「知る権利」に奉仕するものとして、憲法21条の保障のもとにあると認定しました。
自由人権協会の代表理事である弁護士の喜田村洋一さんの解説によれば、「報道機関の果たす役割が、権力の恣意的行使を防ぎ、国民の基本的人権を保障するという憲法の理念を実現するために不可欠であると憲法が認めたため」であり、報道機関は「国家機関の状況を報じる場合において、最も高い憲法的価値を持つ」のです。まさに権力監視のことです。
2011年3月11日から、災害担当の局次長として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に向き合い、3カ月後に局長になりました。6年間の局長時代には、第二次安倍政権下でこの国の「かたち」が「戦えない国」から「戦える国」に変質しました。新聞の使命とは何か。どういう紙面を作るのか。読者から日々、問われている感覚でした。
その時間が記者一人一人を、編集局という組織を、権力と対峙してもぶれることなく、監視を続けることができるように鍛えたのです。東京新聞の編集局を見渡すと、私が局長時代も今も、権力の空気を読まないのは望月記者一人ではなく、編集局という「組織」が権力の空気を読んでいません。
「3・11」で忘れられないこと
本書は5つの章の構成です。第1章は「歴史に裁かれる新聞と権力」、第2章は「『3・11世代』の記者の使命」、第3章は「『戦える国』の権力監視」、第4章は「東京新聞流のジャーナリズム」第5章は「新しい戦前の中で」です。
私を含む編集幹部が、記者が何を思い、どう動いたのか。全容を明かしていますが、本稿では権力の監視に絞って内容を紹介していきます。
第1章と第2章は東電福島第一原発事故をめぐる動きが中心です。原発事故から今年で14年の月日が流れます。あの日々を経験した「3・11世代」としては、まだ「災中」だと認識していますが、忘れられないのは、いや忘れていけないのは、「大本営発表を再び垂れ流すのか」という読者からの批判の声です。
大本営とは天皇に直属するかつての日本軍の最高司令部のことです。架空の戦禍の発表や損害の隠ぺい、「撤退」を「転進」とするなど言葉のごまかしにより、日本軍が勝ったと宣伝しました。東京新聞も含めて戦時中の新聞は発表を垂れ流し、軍部との一体化により熱狂を作ることにも邁進しました。