特別扱いして自分に依存させる

こういった物質的な贈り物だけではありません。

このシーンでは、物質的なプレゼントもあげてはいますが、実は、自分にとって大切な人として対象を特別扱いする、というところに主眼があります。

特別扱いですから、ほかの人と比較している、というところがポイントです。だれしも、あなたは特別なんだと言われたらうれしくなりますよね。加害者は、対象を気持ちよくさせて、うまいこと自分に依存いぞんさせるのです。

この場合、プレゼントはえんぴつ1本でもいいのであって、金額の高い安いは関係ありません。あなたにだけ、というメッセージを伝えるところに重点があるのです。

自分にとって大切な人だから、とストレートなメッセージを言うこともあるので、言われたほうは愛情を向けてもらえているのだ、と感じてしまうのです。

競争心をあおることも

子どもでも大人でも、集団で被害にあってしまうということが、たいへん残念ながらあります。そういうときに認められる心理ですが、被害にあう人同士の間に競争心が生まれる、ということがあります。

たとえば、カルト団体のマインド・コントロールにおいては、情愛は団体のトップに向けることのみが許されている、ということが指摘されていますが、それと似たような現象が起きるのです。被害者たちが、加害者の関心や愛情を勝ちとろうとするような行動をしてしまうのです。

集団であるなら、被害者同士が協力をしたらいいのでは、と考えるかもしれませんが、私の経験では、被害者が複数人いる場合に、お互いが協力するということは多くありません。被害を受けているという認識がまだはっきりしていない段階では、それが顕著けんちょです。

むしろ被害者たちは、加害者の関心をほかの被害者よりも自分に向かせたい、独占どくせんしたい、と競争的になり、自ら加害者と連絡をとったり、迎合げいごうしたりしてしまうのです。

こうした被害に、SNSが一役買ってしまっている面があります。2人だけでつながることのできるSNSは閉ざされた世界であり、ほかの人たちがどんなやりとりをしているのかを見ることはできません。

ですから、加害者が、自分の身近にいるほかの人とも同じようなやりとりをしていたとしても、まずそれに気づくことはありません。愛情を示すような言葉を伝えられると、自分は特別なのではないか、という気持ちが生まれてしまうのです。そこに何かのきっかけで競争心が生まれていれば、そのことをほかの人に確認しようなどとは思いません。

性的行為それ自体は悪ではありません。物をぬすんでこい、と命令されたら抵抗感を持つことができたとしても、性的行為は犯罪を行うほどにはハードルが高くないと言えるかもしれません。たとえばキスをする、ということが、その集団において愛情表現の1つであるとか、ゲームの一環いっかんであるなどと言われると、抵抗感はうすれやすくなるのです。