タオル投げは絶対練習している

噂には聞いて知っていたが、矢沢永吉とあのタオルの関係は一体何なのだろう。とにかくタオルである。タオル売り場は長蛇の列。もう、タオル持ってなきゃ何も始まらないという感じだ。

最初、誰もかれもまるで儀礼のようにタオルを肩に掛けている(矢沢タオルは、首にかけるのではない。左右どちらかの肩に背負うようにダラリと掛けるのが正式)ファンを見た時、生の矢沢を観ることができない間、矢沢の代りとなる御神体なのかと思えた。

実際に部屋の壁にタオルを飾り、タオルに矢沢を見て暮らしている信者もいるだろう。しかし、今日のこの現場ではタオルは更なる役割を果たす。「止まらないHa~Ha」という曲が代表的であるが、曲の決まった部分でそれぞれのタオルを頭上に放り投げるという儀式があるのだ。

私は一階最後列で観ていたが、それは壮観である。大きなバスタオルを真上に高く放るのは難しい。絶対練習している。そして、いかに高くきれいに放るかをステージ上の矢沢に見せることが、同時に自分の信仰心の深さを示すことにもなるのである。矢沢に会えなかった間ぶんの信仰心をしみこませたタオルを矢沢の目前で高く放る時、それがタオルから矢沢に帰されると信じているのかもしれない。

単なる娯楽ではなく信仰の現場

ステージ上の矢沢は煽動的なMCをするわけでもなく、あくまでも音楽を演っているだけだ。しかし気づいたのだが、矢沢は何度も舞台からソデへ姿を消す。曲の間奏で消えて2コーラス目が始まる瞬間に戻っては歌い出すというシーンも数回あった。

ナンシー関『信仰の現場』(星海社新書)
ナンシー関『信仰の現場』(星海社新書)

矢沢本人は無意識なのだろうが、結果的にこれは無言の煽動だ。「ステージに現れる」というのは、いわば「御降誕」である。信ずる者たちにとっては、最も崇高でありがたい儀式を何度も見せているのである。もう会場は大変だ。

詳しくは知らないが、かなり規模の大きいファン組織で、全国に支部を持つ「永心会」というのがある、というのを私は以前ある雑誌で知った。この日も揃いの制服で気合いが入っていたが、「永心会」はコンサートが終わったあと「反省会」をするらしい。彼らにとって矢沢のコンサートは単なる娯楽ではないことは明白だ。やっぱりそれは「信仰の現場」と呼ぶべき場なのだろう。

「ルイジアンナ」や「ウイスキー・コーク」も聴けて、タオルも3枚買って、満足して帰ってきた私であった。

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