叱った生徒の投身自殺で本格的な神経症に
漱石が教えていた生徒のなかに、藤村操という生徒がいました。成績優秀で、中学校を飛び級で進学。普通は18〜20歳で入学するところ、16歳で第一高等学校(現・東京大学教養学部)に入った秀才です。
あるとき、漱石の英語の授業に出席していた藤村に、漱石が訳文の課題を出しました。
ところが、藤村は不遜な態度で「やってきませんでした」と言い放ちます。漱石は驚きましたが、怒りを抑えて「なぜやってこなかったのか」と尋ねました。すると藤村は「やりたくないからやってこなかった」と反発したのです。
漱石は怒りを感じましたが、冷静に「次回までにやってくるように」と注意するにとどめました。しかし、次の授業でも藤村は、同じように「やってきませんでした」と反発してくるではありませんか。
2度目ということで、さすがに癇癪を起こした漱石は、「勉強したくないなら、もう教室に出てこなくていい」と、藤村を叱りつけました。
これで済めばよかったのですが、なんとその数日後、16歳の藤村は栃木・日光の名瀑、華厳滝に投身自殺をしてしまうのです。
藤村は「巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる楽観に一致する」などと哲学的な問答を書いた遺書を残しました。
これは世間でも大きなニュースになり、新聞などでも報じられます。この話は、当時「煩悶青年」という流行語まで生み、もだえ苦しむことを哲学的な自殺ととらえる議論も盛んになったのです。
胃潰瘍、痔、リウマチ、糖尿病とさんざんな晩年
さて、「自分は生徒を叱っただけ、自殺は彼自身の問題だ」などと、わり切って考えられる漱石ではありません。自分が藤村を叱ったことが原因だと気に病んでしまいます。
その後、教壇に立つなり、最前列の生徒に「藤村はどうして死んだんだい」と尋ねるなど、神経衰弱を抱えていた漱石の心に、また新たなストレスがのしかかります。
小説家として活動してからも、胃潰瘍、痔、リウマチ、糖尿病などさまざまな病気に悩まされ、ついに胃潰瘍で血を吐いてしまいます。
療養や入退院を繰り返し、それでもまた小説を書き始めるのですが、そうすると、今度は胃潰瘍が再発してしまう。それから、痔の手術もしなければならなくなるという、さんざんなあり様です。
胃潰瘍は毎年のように再発し、最終的にはリウマチの治療もあって療養していた神奈川・湯河原で倒れ、さらに糖尿病も悪化し、さらにさらに胃潰瘍がどんどん悪化。もはや、何が原因かわからないくらい病に侵され、49歳で亡くなってしまいます。