稀代の浮世絵師・喜多川歌麿のプロフィール

無名ながらその才能を蔦重が高く評価していた喜多川歌麿(「べらぼう」で演じるのは染谷将太)に狂歌絵本の浮世絵を描かせたのです。ここから歌麿三部作と呼ばれる『画本虫撰えほんむしえらみ』『百千鳥狂歌合ももちどりきょうかあわせ』『潮干のつと』を発刊。喜多川歌麿の出世作になりました。

喜多川歌麿画、宿屋飯盛(石川雅望)撰『画本虫ゑらみ』、天明8年(1788)、出典=国立国会図書館デジタルコレクション
喜多川歌麿画、宿屋飯盛(石川雅望)撰『画本虫ゑらみ』、天明8年(1788)、出典=国立国会図書館デジタルコレクション
喜多川歌麿(1753?~l806年)
川上徹也『江戸のカリスマ商人 儲けのカラクリ』(三笠書房・知的生きかた文庫)
川上徹也『江戸のカリスマ商人 儲けのカラクリ』(三笠書房・知的生きかた文庫)

江戸を代表する浮世絵師のひとり。生年、出生地などは諸説あり不明。北川豊章の画号で浮世絵師としてデビューするが、30代半ばまで鳴かず飛ばずだった。蔦屋重三郎にその才能を見出され、狂歌絵本『画本虫撰』『百千鳥狂歌合』で花鳥や虫類を繊細な筆致で描き注目を集める。

また「枕絵」と呼ばれる情交を描いた春画も数多く描いた。そして40代を迎えた頃、大首絵おおくびえ(胸から上の構図)の手法で女性の表情の微細な変化を描いた美人画により大ブレイクし、時代の寵児に。その秀作の多くは耕書堂から出版されていることから、蔦重の企画・助言があったものと思われる。

寛政9(1797)年の蔦重の死後は画風が変化、作品の質が低下したと言われる。

喜多川歌麿の肖像画、鳥文斎栄之画、1815年(大英博物館所蔵)
喜多川歌麿の肖像画、鳥文斎栄之画、1815年(大英博物館所蔵)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons
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