大人向けの娯楽読み物「黄表紙」本でベストセラーを連発
この前後、蔦重がベストセラーを連発するのは「黄表紙」です。草双紙と呼ばれる絵入り娯楽本の一分野で、もともとは子供向けの本が主流でしたが、やがて風刺や洒落を利かせた大人向けのものも登場。表紙の色によってジャンル分けがされ、昔話など子ども向けの赤表紙、浄瑠璃や歌舞伎をテーマとした黒・青表紙などがありました。
「黄表紙」というジャンルも、元々は鱗形屋孫兵衛(「べらぼう」で演じるのは片岡愛之助)が企画開発したものです。安永4(1775)年に刊行された恋川春町作・画の『金々先生栄花夢』が記録的な大ベストセラーになりました。「一炊の夢」の故事で知られる謡曲『邯鄲』を下敷きにした作品で、以下のようなあらすじです。
金村屋金兵衛という田舎出の貧乏な青年が一旗挙げようと江戸へ向かい、ふとした縁で大商人の養子として大金持ちになり栄華を極めるが、やがて吉原通いにはまり勘当され無一文になる。しかしそれは江戸へ来た時の茶屋でうたた寝した時に見た夢だったというオチで、青年は人の一生ははかないものだと悟り故郷に戻る。
同作の表紙が黄色かったことから「黄表紙」と呼ばれるようになりました。その後、鱗形屋はブームの火付け役となった恋川春町を始め、朋誠堂喜三二(同・尾美としのり)などの「黄表紙」を多数出版して栄華を極めます。しかし前述した不祥事をきっかけに勢いをなくし、「黄表紙」のジャンルでも蔦重にその地位を取って代わられるのです。
安永9(1780)年、蔦重は黄表紙の出版を開始します。以前から関係を深めていた朋誠堂喜三二から始まり、やがて恋川春町も耕書堂の専属的な作家となっていきます。
吉原などを舞台にした恋愛小説の「洒落本」もヒット
「黄表紙」と並んで人気があったのが「洒落本」でした。黄表紙は挿絵が多く今の漫画に近い書物なのに対して、「洒落本」は文章主体の恋愛小説です。といっても舞台は吉原などの遊郭で、遊女と客の「粋」な会話を楽しむものでした。こちらは文章主体なので、教養がある武士階級のための書物だったといいます。
このジャンルで頭角を現したのが山東京伝です。画才も文才もあった山東京伝は早くからその才能が注目され、他の大手版元(鶴屋喜右衛門)から何冊も黄表紙を出版していました。蔦重もその才能を見込んで黄表紙の執筆を依頼。なかでも天明5(1785)年に出版した『江戸生艶気樺焼』は大ヒットしました。
さらに蔦重は京伝に「洒落本」の執筆を依頼。天明7(1787)年に出版した『通言総籬』は大きな評判を呼び、洒落本のジャンルの第一人者となります。その後も、蔦重と京伝のコンビはヒットを連発。京伝は江戸一のベストセラー作家となっていきます。