※本稿は、梶原麻衣子『「“右翼”雑誌」の舞台裏』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
なぜ安倍元首相は支持者から熱狂的に愛されたのか
2010年代以降のアイドルは「舞台の上に立って光り輝く姿を見せることが仕事で、素を見せるべきではない」という一昔前のスターとは違った様相を呈していた。
社会現象にもなったAKB48が顕著だが、手の届くところにいるアイドル、会いに行けるアイドル、不完全だけれど、だからこそ応援したくなるアイドルというアイドル像。安倍氏もこれに重なるところがある。
第一次安倍政権退陣時の悲劇もあり、朝日新聞をはじめとするメディアからの総攻撃もあり、安倍氏は「支持者である自分たちが支えなければならない人物」となった。ある面で「弱者」であることが、「私たちが支えなければ」という心情を強くさせ、他ではなかなかお目にかかれない「支持者と政治リーダーの一体化」ともいうべき状況を作り出した。
第一次政権時に朝日新聞をはじめとする左派メディアに引きずり降ろされた「悲劇の宰相」というナラティブが、より一層、支持層の胸を熱くさせたのである。
また、強さ・弱さの点でも支持者と批判的な人たちとでは見え方が違っていた。結果的に長期政権となり、メディアからは「安倍一強」「強権をふるう」とのイメージで報じられ続けたが、支持者は一面では「ギリギリのところで立っている、(我々が支えなければ倒れてしまうかもしれない)脆弱さを持っている」「左派メディアに追いやられている弱者」と見ていたのである。
イメージと実態の乖離
この強さと弱さを併せ持っているところが、支持者を熱狂させ、批判者の心をかき乱した要素だった。
政策についても同様で、右のイメージで支持者を引き付けつつ、実際には柔軟な選択を行っていた。しかし保守派は時にブレたと批判されてもおかしくない柔軟さは批判せず、左派は歓迎すべきリベラル的と言ってもいい政策を評価することはなかった。
このイメージと実態の乖離が、支持者であれ批判者であれ、安倍政権の本質をつかみづらくした原因であろう。
2017年5月号の『フォーリン・アフェアーズ・リポート』には、〈トランプから国際秩序を守るには――リベラルな国際主義と日独の役割〉と題する、プリンストン大学教授のG・ジョン・アイケンベリー氏の記事が掲載されている。ご興味のある方は元論文を読んでいただきたいが、サマリーにはこう書かれている。