「若き天才」と呼ばれ、起業家であり台湾のデジタル担当大臣にも抜擢された経歴を持つオードリー・タンは、どんなアイデアや権利も独占せず、無償で広く公開し、共有することを重視している。それはなぜなのか。約2年ぶりの最新刊『オードリー・タン 私はこう思考する』(かんき出版)より、一部を紹介する――。
2020(令和2)年5月20日、台湾新内閣発足時のオードリー・タン氏(最前列右)。
写真=NNA/共同通信イメージズ
2020(令和2)年5月20日、台湾新内閣発足時のオードリー・タン氏(最前列右)。

「明日は目が覚めないかもしれない」と思った日々

2020年、世界中を襲った新型コロナウイルスのパンデミックが台湾にも到達した。同年6月、台湾全土で感染状況が悪化し、警戒レベルは第3級に引き上げられた。日夜、街中で救急車のサイレンが鳴り響き、人々は初めて死の影が迫っていることを実感した。

その台湾で先天性の心臓病を患っていたオードリーは、幼いころから死と隣り合わせで生きてきた。12歳で心臓の手術を受け、健康な体を手に入れたとはいえ、4歳から12歳まで10年近くの間、「明日は目が覚めないかもしれない」と思いながら眠りについたことは、人格形成に大きく影響した。

幼いころのオードリーを家族は献身的に世話した。明日を迎えられるように、欠かさず薬を飲ませた。また、たくさんの思い出を残すことにも労を惜しまなかった。当時、オードリーの世話をしていた祖母は、オードリーが歌ったりしゃべったりする声をたびたび録音した。医者が言うように、手術を待たずに死んでしまうかもしれないのなら、せめて一緒に過ごした数年の記録を残しておきたかったのだ。

早くから死を意識していたオードリーは、どんなアイデアもすぐに共有しようとするようになった。もし明日、自分が死んでしまったら、頭のなかにしまっておいたアイデアも消えてしまうからだ。タイミングを逃すことを恐れるあまり、「今日のことは今日終わらせる」という習慣ができた。「考えたことを吐き出してしまえば、もう怖くはありません。安心して眠れます」

逆に死を意識したことのない人は、「考えが明確に整理されてから人に話そう」と思うだろう。これにはプライドの問題もあるかもしれない。まだ下書きのような段階の、まとまりきっていない思考を人に話せば、相手の時間を無駄にしてしまうように感じるからだ。