ただの「警察組織」を研究しても意味がない
ひとつは、GHQによる暗殺説がある下山事件。戦後間もない1949年、国鉄総裁の下山定則氏が失踪し、翌日に常磐線の北千住駅と綾瀬駅の間で、轢死体となって発見された事件です。未だに真相が究明されていない戦後の未解決事件のひとつですが、GHQ犯行説がしばしば囁かれています。
2つめが、本能寺の変。信長を討った明智光秀の本当の黒幕は誰かというものです。なぜ光秀は信長を討ったのか、さまざまな黒幕説・共謀説が唱えられて今もなお議論をされていますが、歴史学的にはそれを指し示す史料が何もない以上、検証のしようがありません。
そして、3つめが坂本龍馬の暗殺事件です。坂本龍馬が歴史学上、そこまで重要な人物ではないとなれば、やはりそれは「どうでもいい」ということになります。
新撰組に至っては、やはり歴史研究の対象にはほとんどなりません。新撰組は警察組織ですから、本来は不逞浪士を取り締まり捕縛することが役割のはずです。にもかかわらず、エンタメの世界では多くの浪士を斬り殺した殺人集団として描かれることもしばしばでしょう。
「自由な雰囲気」が人気の理由
血生臭いと言えば、新撰組内での粛清も有名です。
たしかに実際問題として、多くの人間が粛清もしくは切腹となっています。また近年では、一番隊隊長が沖田総司、二番隊隊長が永倉新八なのはよいとしても、三番隊隊長が誰だったのか議論になっているそうです。よく知られているのは、斎藤一ですが、六番隊隊長とされていて、多摩時代から近藤勇らと一緒だった井上源三郎が実は三番隊隊長だったのではないか、という意見もあるのです。
隊の組織形態もよくわからない状態であり、それほど専門の研究は進んでないのではないか。それだけに、新撰組はフィクションの対象として面白いのかもしれません。
坂本龍馬も新撰組も人気はあるけれども、学問としての歴史研究においては対象にするほどの歴史的人物ではない……、ということで坂本龍馬と新撰組の虚像を暴いておしまい、というだけではなんとも味気ないですね。いずれにしても、現在の坂本龍馬や新撰組の人気はすごい。
どちらも、その人気を決定的にした司馬遼太郎先生が亡くなった後も、衰えを知りません。特に龍馬に至っては、その自由な雰囲気を身にまとったような行動が、人々の精神を鼓舞しているかのようです。