「誰との不倫か」によって受ける傷は大きく変わる

長く素行不良なおじさまたちに、愛人や不倫相手選びについて聞くと、口が堅いとか結婚したがらないとか、そういった基本的なことの他に、もし明るみに出たときに、本妻のプライドを根こそぎ奪うような相手を選ばない、という規律を聞くことがある。

どんな浮気だって人を傷つける。美人と浮気されて劣等感にさいなまれることもあれば、ブスと浮気されて自尊心が傷つくこともある。しかし、正直なところ、誰と浮気されるかによって傷の数値レベルはだいぶ変わる。そして人の性格に凹凸があるように、そして人のプライドとコンプレックスの置き所が千差万別であるように、誰と浮気されると一番傷つくか、というのは人によって違う。

不倫をする上で最も問われるべき品格は、いかに人の傷を治癒できる程度のものに留めるか、だと考えられるが、その際にはこの「誰と不倫するか」が生命線となる。女同士で話していて、パートナーの浮気や元カノの話になると、必ずと言っていいほど、相手を特定し、SNSなどを見つけ出し、批評する。これは自分の傷の大きさを見極めたいからだ。

たとえば、元カノ、本妻の知人や同業者、夫婦共通の友人などと不倫すれば、それによって生じる傷や綻びが、修復不可能になる可能性が極めて高いのは容易に想像できる。その他に、たとえば過体重を気にしている女性に対してモデル体型の美女と不倫したときに起こる相手の気持ちのハレーション、子育てのために泣く泣く仕事を中断している女性に対してバリキャリの女と不倫したときに引き出される複雑な悲しみなどを想像すれば、少なくとも絶対に不倫してはいけない相手を割り出すことはできる。

「自分がされたら嫌な不倫」は燃えやすい

兄弟芸人の不倫の例が、その比喩はどうあれ一般女性視聴者に比較的ゆるゆると受け入れられた理由の一つは、相手の女性に、女のコンプレックスをえぐる嫌悪感がなかったからだろう。むしろ、ドラマや小説によってできた、愛人というと若くて綺麗な人、というイメージからはだいぶ遠い、男性本人と年齢が近いようなややトウのたった女性、しかも元セクシー女優というある種の見くびりを引き出す肩書は、おそらく本妻へのダメージが、最悪レベルではないのだという無意識の想像を呼び起こす。

お笑いコンビ・千原兄弟の千原せいじさん
お笑いコンビ・千原兄弟の千原せいじさん(プレスリリースより)

そこで初めてある程度の「面白い」が喚起される。面白いと感じるのは、単に読んでいて笑えるという問題ではなく、面白いと言ってよいか否かという、視聴者の良心の問題でもあるからだ。不倫に嫌悪感を抱くのは既婚者に限らないが、真っ直ぐ批判するのは自分は真面目にやっているという既婚者たちであって、彼らの想像力に自分がされたらすごく嫌だという信号を送ると火は広がっていく。

ちなみに愛人への扱いがあまりに雑だったり、女性ウケの悪いあざとい美人が相手だったりすると不倫相手になり得る未婚女性からの好感度は深層心理的な意味で下がるが、あまり愛人候補だと思って人は生きていないし、思っていたとしても声に出さないことが多いので直接批判されることは少ないかもしれない。