三条天皇が寵愛したのは姸子でなかった

このとき止めに入ったのは、三条天皇の女御で敦明の実母である娍子(朝倉あき)だった。この娍子については、同じ第41回の少し前の場面で、三条天皇が言及していた。

三条天皇は道長に「朕の願いをひとつ聞け」と命じて、こう続けた。「娍子を女御とする。姸子も女御とする」。対して道長は、「娍子様は亡き大納言の娘にすぎず、無位で後ろ盾もないゆえ、女御となさることはできませぬ。先例もございませぬ」と反論した。ところが三条天皇は聞き入れず、「娍子も姸子も女御だ」と道長に伝えて、立ち去った。

三条天皇像
三条天皇像(写真=『百人一首画帖』より/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

たしかに、姸子にも同情すべき点がある。三条天皇のこのセリフは、道長の娘の姸子だけを優先するつもりはないという宣言だが、史実においても、三条天皇はそのように行動した。というのも、娍子を寵愛していたからである。