「終末期は管だらけ」という大誤解

重要なので繰り返すが、あくまでもACPの主体は本人。本人と家族を「同列」に扱ってはならないのである。かりにどんなに円満な家族であっても、家族は本人とは別個人。しかも言葉に出す出さないにかかわらず、意図するしないにかかわらず、本人の希望に少なからぬ影響を与え得るのが家族なのだ。「自己決定権の問題」との認識があるのであれば、家族であっても、そこに意思決定者として同列に入れてはならないのである。

その意味では、ACPを事前におこなっておき、第三者でも確認できるように記録しておくことは非常に重要である。私の仕事場である在宅医療ではまさに高齢者医療や終末期医療が主体であるため、「してほしいこと」「してほしくないこと」を繰り返し本人に問い、医療チーム全体でその意思に沿って治療とケアをおこなっていく努力をしている。

そしてその現場では、少なからぬ人が誤解している「終末期は管だらけ」という医療は、いっさいおこなわれてはいない。今やほとんどの患者さんが、「最期は自然な形で迎えたい」と希望するからである。

終末期に入院させてくれる病院などない

本人の意思に反した延命治療を医師が無理やり押しつけるということはないばかりか、法制化などされなくとも、現状でも、当事者本人の尊厳と意思を最大限に尊重した「終末期医療」をおこなうべく、現場では日々努力と省察が繰り返されているのである。

SNSでは「医者はカネ儲けのために終末期の高齢者も死なせないように管だらけにするのだ」「尊厳死の法制化に反対する医師はカネ儲けできなくなるから反対するのだ」といった言説を流布している人も見かけるが、これも大きな事実誤認だ。そもそも老衰で終末期を迎えた高齢者に集中治療をおこなうために入院させてくれる病院などはない。

もし本人の意思と異なる老衰での胃瘻いろうや点滴がおこなわれることがあるとするなら、それは医師の勧めや押しつけではない。そのほとんどは家族の要望である。

病院の点滴
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老衰末期でいよいよ経口摂取不能となった場合の点滴が、医学的に意味をなさないのは医療者のあいだでは常識であることから、こちらから点滴の提案を家族に持ちかけることは、まずない。