熊本市に設置されている「こうのとりのゆりかご」は日本初の赤ちゃんポストだ。当時、「匿名で子どもを置いていけるものをつくるのか」と、政治家などから否定的な声が上がる中、最終的に設置を許可したのは熊本市長だった。この決断の背景にはどんな考えがあったのか。ノンフィクションライターの三宅玲子さんが取材した――。

17年経っても赤ちゃんポストは増えていない

日本で初めての赤ちゃんポストがつくられたのは2007年5月。それから17年の間、他県でつくろうとする動きが起きたこともあったが、封じられてきた。現在、公式に運営しているのは1カ所目となった慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご」(以下、ゆりかご)だけだ。

熊本市の慈恵病院が運営する「こうのとりのゆりかご」
筆者撮影
熊本市の慈恵病院が運営する「こうのとりのゆりかご」

新たな動きがあったのは2022年。ゆりかごの運用初日に預け入れられた1人目の当事者の行動だった。18歳の成人を迎えたその人は、里親家庭で絆を深めながら成長した自身の物語を実名で公表した。

すると、心を打たれた個人の活動家が北海道当別町で赤ちゃんポストを開始。しかし、北海道と当別町は必要な医療を提供する体制が不十分などとして、受け入れを中止するよう要請している。

東京では、江東区の医療法人社団・モルゲンロートと墨田区の賛育会病院が相次いで赤ちゃんポストと内密出産の運用計画を発表した。賛育会病院は、今年度中に運用を開始する予定だという。

四面楚歌の中、熊本市長が決断した

そもそも、赤ちゃんポストは現行法の隙間をかいくぐるようにして始まった。土壇場で国に突き放され、四面楚歌の中でゆりかごの運用を前提にした病院の改築許可を出したのは、当時42歳の熊本市長・幸山政史氏だった。

罪を問われずに産んだ赤ちゃんを匿名で預け入れられる――そんな仕組みが果たして可能なのか。当時、社会はこの構想に衝撃を受けた。幸山氏が判断しなかったら赤ちゃんポストは日本に登場しなかったかもしれない。

幸山氏は2014年、3期満了をもって熊本市長を退任した。退任する際、印象に残る仕事はと尋ねる記者団に幸山氏は「こうのとりのゆりかごの決断が、大変重たく難しかった」と答えている。

幸山氏は自身の下した判断をどう振り返るのか。また、後続の動きが活発化している現在をどう見ているのか。熊本市の事務所で話を聞いた。