売り場をつくっても中古品が棚に揃わない
日本一になるために、まず東京で商売の規模を拡大し、ジャンプアップしよう。そう意気込んで東京に乗り込んだ我々の転機になったのは、2008年のリーマンショックでした。
私はコメ兵入社前に新宿のヨドバシカメラで修業をしていました。当時のコメ兵は中部地区でこそ「大須のコメ兵」のCMで有名でしたが、東京では1996年に渋谷の道玄坂に買い取り専門店を出したばかりの新参者でした。
東京での修業を始めて2年目、社長を務めていた父が急逝。名古屋に戻った私は一般社員からキャリアをスタートしました。会社は名古屋地区だけで商売を続ける限界をふまえ、東京や他の政令指定都市への進出機会をうかがっていました。チャンスがやってきたのは03年。ジャスダック上場を果たして、出店資金ができました。東京・有楽町への出店が現実的なものとなり、前から「東京に行きたい」と口にしていた私に白羽の矢が立ちました。
今振り返ると、よく店を回せたものだと思います。名古屋本店では、ジュエリーならジュエリーの、バッグならバッグの、時計なら時計の買い取り鑑定ができるベテランがいました。本当ならエース級を連れていきたいところですが、ベテランを引き抜くわけにもいかず、入社間もない20代前半の社員たちを連れて上京しました。東京では知名度がなく、採用も難航。当然、新人教育も間に合わず、「このブランド、読み方がわかりません」「時計のサイズ調整ってどうやるんですか」というアルバイトに対し、毎日営業の後に勉強会をしながら店を回していました。
ただ、市場のポテンシャルは高かった。当時はまだブランド・リユース店が珍しく、メディアが注目してくれたこともあり、店は順調に成長しました。東京進出から2年後、勢いに乗って念願の新宿に新店を構えました。有楽町店220坪に対して、新宿店は800坪の大型店です。2店を合わせても名古屋本店2000坪の約半分ですが、市場のポテンシャルを考えるとすぐに本店を抜く売り上げをつくれる。そう考えて勝負をかけたわけです。
新天地での挫折、リーマンショック
ところが、ここで躓きました。商品を買いたいお客さんがいないわけではありません。しかし、在庫が確保できなかったのです。通常の販売店と違い、リユースにおける仕入れの生命線は買い取り。買い取りができないと売るものがありません。名古屋で買い取った商品を回してくれればよかったのですが、当時は他の店舗に商品を融通する仕組みがなく、買い取り品だけで800坪の棚を埋められなかったのです。
開店時は中古8割、新品2割ほどの品揃えで商品を回し利益を出す予定でしたが、開店から半年が過ぎたころには棚の半分以上が新品という事態に。新品は中古品より利益率が低いため、黒字化への道のりは遠のく一方でした。
中古品の比率を高めて収益が出る体質にするにはまだ時間がかかる――。そう覚悟を決めてじっくり取り組もうとしていた矢先に起きたのがリーマンショックでした。
景気がいいときは、ブランド品を売って別のブランド品に買い替える動きが強まります。一方、不景気になると、ブランド品の買い控えが起き、中古が市場に出てこなくなります。生活防衛のため、持ち込み件数は増えますが、本当に我々が買いたい良質な品はあまり出てこず、収益にはつながりません。
これまで東京の苦戦は名古屋が補っていた面がありました。しかしリーマンショックで名古屋もボロボロに。全社で322億円あった売り上げは289億円、そして238億円と、わずか2年で26%も低下しました。
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