「大きな企業に就職したいとは思いません」
釜石商工高2年生の猪又千穂さんは「服を作る系」の仕事に就きたいと考えている。そのためには、何を手に入れる必要があると思いますかと訊くと、彼女は「技術と人脈」と即答した。それを手に入れるためには、どうすればいいと思いますか。
「学んでいる間に、ふつうに増えていくのかな、と」
釜石にいる限りは人脈に限界がある、と感じることはありますか。
「あります、あります」
ここで浦島さんがなかなか厳しい突っ込みを見せた。「でもチッコは技術はあってもさ、人脈が一番大変だよね。この人、人の名前とか顔覚えない人だから……」。苦笑いしながら猪又さんが頷く。「部活の先輩の名前覚えるのに半年かかったんです(笑)」。
その先輩の印象が薄かったとか。
浦島「いや、メッチャ濃いんですよ」
猪又「しかも先輩、大好きなんですよ。でも覚えられなくて……」
だからといって、猪又さんが人嫌いというわけではない。連載第14回目の大船渡編《http://president.jp/articles/-/8064》にも書いたが、「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者のうち6人は、昨年夏の帰国後、東京のアップルストア銀座店のイベント「東北の高校生が未来を語る」に登壇、合州国の3週間で考えた、自分たちが暮らす町の復興アイデアを発表した。猪又さんはその6人の中の1人。彼女が発表したのは「釜石かだるタウン」というアイデアだ。「かだる」とは釜石のことばで「語る」のこと。人口の約15%以上、5000人が仮設で暮らしている釜石の町の中に、人が集まって、なんでもおしゃべりできる場をつくる——という提案だ。人嫌いの高校生ならば、この着眼には至らないだろう。
さて、猪又さん、文化服装学院に入って学んだとします。卒業したあとの働き方のイメージを教えてください。
「大きな企業に就職したいとは思いません。自分の意見があまり反映されないと思うので。依頼を受けてのオートクチュールを作るようなところがいいと思ってます。ベストは——学生時代に方向性の合う友人を見つけて、学生のうちに多く製作して販売していきたいです。それでうまくいきそうであれば、そのままブランドを立ち上げたいです」
そのとき、猪又さんが働いている場所はどこですか。
「職場は都内になると思います。やはり、さまざまな場所にすぐつながれるので。ただ、自分でブランドを立ち上げた場合、岩手……できれば釜石にもお店を出したいです。できればわたし、なるべく有名になりたいんですよ。で、『この人釜石出身なのかー』って、釜石を知ってもらいたいわけです。釜石にお店出したら釜石限定品とか出したりして。それで釜石にたくさん人が来たらいいなって思います」
ここまで2人の釜石商工生に話を聞いた。こちらの頭には「4つあった高校が2つになった釜石で、高校生は何を考えているか」という関心がある。次に登場するのは、釜石の進学校、釜石高校に通う高校生だ。