犯罪者を推すことは、罪なき罪かもしれない

愛しすぎただけなのに、なぜわたしが罪悪感を抱かなければならないのか。

ファンはスターの目撃談で盛り上がる。誰かがSNSに顔をアップした瞬間、すぐにファン同士が交流するサイトやSNSでシェアされる。集合写真のなかの小さな顔でさえ、共有したいからだ。

推しと一緒に写っている人が芸能人ではない一般の人だとしても、何度も写真で見ているうちに顔を覚える。ああ、この人は推しの友だちなんだ、と。ところが、推しと友だちが一堂に会して? 姿を法廷で見ることになるとは、想像すらしていなかった。なんと、法廷に立った5人のうち、有名なスターはひとりだけにもかかわらず、わたしは全員のことを知っていたのだ。ひとりひとりの名前まで。あまりに滑稽で、胸が張り裂けそうだった。

そして、ふとこう思った。わたしは知らなかったのだろうか。あの集団のあまり良くない噂が聞こえてきたとき、「違う」とただ否定するだけでよかったのか。知りたくなかったのではないか。知ろうとしなかったのではないか。それとも、知っているのに知らないフリをしたのか。だったら、わたしは傍観者なのか。もしかすると加害者なのか。あの人を愛したわたしとは……。罪なき罪悪感に苦しんでいたけれど、罪がないわけではないのかもしれない。何も知らずに好きだったわたしは被害者だと思っていたけれど、ひょっとすると傍観者だったのかもしれない。苦しい。自分のことが、とても憎い。

手で顔を覆い、片目でカメラを見ている 女性
写真=iStock.com/andriano_cz
※写真はイメージです
無題4(2020.06.12)

疲れたので早い時間に横になってゴロゴロしながら、気になっていた動画を思い出してYouTubeを見た。ふと、本当にふと、あの人が歌う姿が見たくなり、特に「スーパースターK4」(韓国Mnetで放送されたリアリティ音楽オーディション番組)の時代がとても懐かしくなって、いくつか検索してみた。

「アウトサイダー」のステージを見つめながら思った。そう、だから好きだった。こんな人だから、好きだったんだ。オーディション番組に出て、こんなにもカッコよく自由で魅了的な姿をさらけだせる人は、どれぐらいいるだろう。

オッパ(韓国の女性が親しい年上の男性を呼ぶ言葉。ファンが”推し”に対して使用することも多い)のことが大好きだったという事実をあらためて感じた。数年前の歌なのに一つひとつの歌詞を自然と口ずさみ、生放送を見守っていたときの空気も生き生きとよみがえった。すごく苦しい。オッパはイケメンで歌も上手だった。YouTubeのコメント欄を見ていると、さらに苦しくなった。あの人を好きだとか、かばいたいとか、そういうわけではない。ただ、かつてわたしが愛した人だから。

オッパ、なぜあんなことをしたんですか。本当にどうして。わたしが知っていたオッパの姿と違うのは、なぜですか。どうして今、オッパは拘置所にいるのでしょうか。わたしはソウルの大学に進学して、映画を勉強しています。そう伝えたかったのに。なぜ、そんなところにいるのか。本当に、どうして。

日記帳を探さずにそのままにしておいた理由。過去の動画のなかでもわたしが出ている(自分でもアホらしいと思いながら)ものだけを選んで観た理由。やっと気づいた。わたしは、自分の好きだった、愛していた、あのオッパが社会面を飾る犯罪者になってしまった事実を、まだ受け入れる準備ができていないようだ。