誕生は「選挙日」のちょうど2週間前だった
カマラ・ハリスが歴史的な地位を得ることになったのが、誰か特別な人のお陰だとしたら、それは、1964年秋にカリフォルニア州オークランド市のカイザー病院で彼女を産んでくれた26歳のインドからの移民女性だ。カマラの誕生が「選挙日(*1)」のちょうど2週間前だったこと、またその誕生がカリフォルニア州だったことは、おそらく偶然ではなかっただろう。のちに成長してから、社会の進歩と容赦のない政治とは密接な関係がある、と証明することになる1人の少女にとって、この年と州は完璧な培養器となっていったからだ。
*1 アメリカ合衆国の正副大統領を決める選挙日のこと。「4年に一度、11月の最初の月曜日のあとの最初の火曜日」とされる。
現在は連邦議会の議員選挙もこれに従うので、2年に一度、設けられる。祝日とするか、特別な計らいをするかは州による。
そのちっちゃな女の子は成長して、強靱で、機知に富む几帳面な努力家で、多様な文化的背景を持った頭脳明晰な女性になった。カマラ・ハリスは間違えることはなかったし、忘れることはさらになかった。彼女には最初から政治活動の応援団となった忠実な支持者がいる。だが彼女は、一度は家族のように親しくしていた人々を遠ざけもしてきた。カメラが回っていないときには、自分の助けにならなかった人々に対しても思いやりを示し、親切に接することがあった。だが、彼女をよく知る人たちのなかには、彼女を冷たく、計算高いと見ている人もいる。
週に一度は必ず思い出している「人生訓」
全国的な舞台で活動しているが、ハリスは個人的なことをほとんど明らかにしていない。彼女は料理することを楽しみ、よいレストランや場末の居酒屋で食事するのを好む食通でもある。ある時、私と一緒に昼食をした時に、彼女はサクラメントの州議事堂の通りの向かい側にある、カリブ海出身の家族が経営する小さな店を選んだ。ハリスは様々な香辛料の話をし、ゆっくりと食事をしたのだが、私と違って、彼女は食べた物をメモしていた。
大まかに言うと、彼女は父親よりも母親に近い娘だった。彼女の近くで仕事をする人たちによると、カマラは2009年に亡くなった母親シャーマラ・ゴーパーラン・ハリスから受け継いだちょっとした人生訓を週に一度は必ず思い出しているという。公の席で彼女が最も頻繁に繰り返すのが、「何をするにも最初にするのは構わないわ。でも忘れないでね。最後はだめよ」ということばだ。時に、彼女の人生の大事な瞬間に、母親を思い出して感情がこみ上げることもある。そんな時、自分の傍らに母親がいてくれたらと願っているのは明らかだ。