拙い英語でも言葉の壁を越えられた留学経験
わたしの経験のなかから、ものすごく拙い英語でアメリカ人を喜ばせたエピソードを紹介しましょう。みなさんの考え方が少し変わるかもしれません。
わたしがアメリカに留学したのは、いまから25年以上前のことです。
当時、英語の文献はふつうに読めるレベルでしたが、会話となると相手が何を言っているのか、理解するのに精いっぱい。テンポのよいやり取りなどは、とてもできない状態でした。
そんなわたしがある晩、シカゴのホテルのバーで飲んでいると、ひとりのアメリカ人がやってきて、わたしに尋ねたのです。
「俺はミシガンから来たんだけど、俺たちがつくっている車が全然売れないのに、どうして日本車はこんなに売れるんだ?」と。わたしはこんなふうに返しました。
「アメリカと日本の販売体制のいちばんの違いは、ディーラーの立ち位置だ。日本ではディーラーがメーカーとくっついている。たとえばトヨタならトヨタ車のディーラー、マツダならマツダ車のディーラーがいるというように。
しかし、アメリカでは、メーカーとディーラーがまったく連関しておらず、同じオーナーのディーラーがフォードもトヨタもマツダも取り扱っている。だからメーカーが消費者のニーズをつかみきれないし、消費者動向をメーカーが十分に吸い上げられないのでは」
「こいつの英語はまったくひどいが、話が面白い‼️」
さらに、マツダが一時期低迷したときに、社員のクビを切らずにディーラーに出向させ、そこで消費者ニーズをつかんで帰ってきたこと。それを反映させて新型ファミリアを大ヒットさせたということもつけ加えました。
すると、そのアメリカ人が膝を打って喜んだのです。奥さんらしき女性にこう言いました。「こいつの英語はまったくひどいが、話が面白い‼️」
このときわたしは、たとえしゃべる言葉が拙くても、その話が面白いか面白くないか、聞く人はそこで判断するのだという、当たり前のことを知ったのです。
わたしもずっと日本で育ち暮らしてきましたから、日本人にありがちな固定観念で「英語は上手にしゃべらなければいけないのかな」ということが気になっていました。
しかし、この一件で「うまくしゃべらなきゃ」という強迫観念は、すっかり消えてしまいました。
日本では「誰それがこんな説を言っていた」と語るとまわりは喜ぶのですが、アメリカではそんな発言は評価されません。下手でもいいから自分の独創的な考え方を示すほうが価値があるのです。
下手でもいいから臆せずにアウトプット。
これこそ人生後半の世界が広がる「アウトプット的生き方」の極意です。
表現などについては、リハーサルを積んだり実践の場数を踏めば、少しずつ向上していきます。そこにこだわるよりも、重視すべきは話の中身です。