「異世界転生」が好まれた時代背景

約40年前の『ドラゴンクエスト』、30年前の『ロードス島戦記』、20年前の『ファイナルファンタジーⅦ』……。もはや日本人の基礎教養ともいえる「西洋ファンタジーRPG」というジャンルは、長きにわたり語られ、また練りこみ続けられてきた。

この10年で、ライトノベル『ソードアート・オンライン』を皮切りにゲームの世界観の中に入り込む物語が百花繚乱となり、また現代の知見をそのまま異世界に持ち込む“異世界転生”モノが大量に産まれた。

甲冑
写真=iStock.com/iantfoto
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転生した世界で自分だけがスマートフォンを使えたり、ゲームのロジックや特殊効果を見てハックしていくような物語は、“現実逃避”や“子供じみた妄想”のように語られることが多い。だがそれは「コツコツとした努力が報われる」というゲーム世界の平等性や成長物語を、新しい世代が渇望した結果のように私は感じる。

「友情・努力・勝利」の“週刊少年ジャンプの三原則”が通用していた1980年代は社会においてもそれが受容されている連動感があった。だが、2010年代は社会のルールの複雑化と未来への期待の無さが、より人々を「ルールある世界」へ誘っている。

その異世界ブームの成熟とともに、ファンタジーRPG物語がメタな視点で強いメッセージを放つようになった。

例えば、ラノベ発のアニメ作品『ゴブリンスレイヤー』という作品がある。

本作のキャラクターは主人公含めてすべてに名前が存在しない。「勇者一行(女性)」も派手な活躍を見せるが脇役に過ぎない。主人公は、下級モンスター・ゴブリンのみを狩る“ゴブリンスレイヤー”の通称をもつ青年なのだが、名前も素顔すら明かされていない一介の冒険者という設定だ。

RPG×ヒラ社員

彼は自分の姉や家族をゴブリンに殺された恨みを忘れず、「最弱だが組織的に動いて厄介な敵になりえる」ゴブリンだけを倒し続ける。ドラゴンや魔王にはまるで興味なく、ただ村を襲われないようにと偏執的にゴブリンだけを倒し続ける、まるでRPG界のサラリーマン平社員を描いたような異色の作品だ。

また“復讐系”という現実の代理戦争のような作品も増えた。こちらもラノベ発のアニメ『盾の勇者の成り上がり』の主人公は、忌み嫌われていた守りの能力しかない“盾”の能力を獲得している。槍・剣・弓と贔屓される他の3人の主人公をしり目に王様・王女から不等に扱われことから、彼らに復讐を兼ねながらRPG世界に受容されていく物語だ。

2012年の本作以降、異世界転生の派生形として復讐系が大きく花開く。このフォーマットは、近年、悪役になって王道ヒロインの偽善を暴いていく“悪役令嬢系”という人気ジャンルにつながっていく。

ファンタジーRPGを一つの大喜利素材として、“こんな視点で主人公になったら?”と現代アートのように視点やポジションを変えながらさまざまに描きなおした2010年代の小説作品が、2020年代に入ってアニメの形で広く浸透する一般ジャンルになってきている。